もはやそれ以上
黒田三郎
もはやそれ以上何を失おうと
僕には失うものとてはなかったのだ
河に舞い落ちた一枚の木の葉のように
流れてゆくばかりであった
かつて僕は死の海をゆく船上で
ぼんやり空を眺めていたことがある
熱帯の島で狂死した友人の枕辺に
じっと坐っていたことがある
今は今で
たとえ白いビルディングの窓から
インフレの町を見下ろしているにしても
そこにどんなちがった運命があることか
運命は
屋上から身を投げる少女のように
僕の頭上に
落ちてきたのである
もんどりうって
死にもしないで
一体だれが僕を起してくれたのか
少女よ
そのとき
あなたがささやいたのだ
失うものを
私があなたに差上げると
※『黒田三郎詩集』(日本の詩集16、1973年、角川書店)より
この詩集、近所のカライモブックスで見つけてもらったんですが、
この詩の、特に後半はすばらしいですね。
今年もよろしゅうに。