福島の詩人たち② 内池和子さん「漂流する秋」

福島県現代詩人会は、定期的に『福島県現代詩人会会報』を出しています。
その会員で福島市在住の有志が集ってできた「クレマチスの会」というグループがあり、
その2011年9月の例会で内池和子さんによる以下の作品が発表されました。

会の顧問である太田隆夫さんは
「私たちが ささやかに灯してきた趣旨に添うものと グループ内で話題となりました。
このことから 東京電力福島第一原発事故のあとに渦巻く重苦しい状況を 小さいながらも各機関、各位に発信し ご理解を頂くためにご送付申しあげる次第でございます。」
と一言添えて、この詩を全国に送りました。

ちなみにクレマチスは花の名前です。
「写真で見る福島の花」というページがありましたので参考までに。
 

現代詩の会『クレマチス』9月例会作品
 鎮魂の祈りより





漂流する秋               内池和子


あきあかねが きみどりいろの目を ひからせながら むれてとんでいたのは いつ
もんきちょうが 風に ふかれるはなびらみたいに つがいでとんでいたのは いつ
かなへびが 石がきのすきまに こけいろにひかりながら はいこんだのは いつ

こんなにあつい日なのに 蟻がいない うちのまわりに 蟻がいない
蝉のむくろに 蟻がこない
蜘蛛だけが たまつばきの葉かげのちいさな巣で やせながらじっとうごかない

いつもの古巣が どうしても 見つからなかったつばめは 早めにもう旅立ったのか
すずめたちは 稲田のほうに むれているのか 日ざかりの盆地は雲におおわれ
かわらがずれ落ち かたむいた屋根屋根には からすもいない

わがものがおの たけ高いざっ草のしげみで こおろぎたちが鳴いている
車がきしむ音がする すこしむこうで ねじれた家を解体している音がする
あの日の 深い海底でずれおこった音が 耳のおくを ごうごうゆする

ゆすられながらまっくろの煙にも似た がれきの波の巨人が 億万の手をひろげ
二万の命を ありえたはずのたくさんの未来を ひきよせひきよせ たくしこみ
海底なる 造形の主に供御する図が 眼のおくを点滅する

いや思うまい ひたすら合掌し 鎮魂を祈ろう 死者たちを忘れまいと
人智など 歯牙にもかけぬこの球の営みのたしかさだけに思いをいたし
この球に生かされている万物のいのち その営みを侵すものを忌避しよう

あの日 人間界だけに いまだありえない福を生み出し いまだありえない幸いを
もたらす神として作られ君臨したモノは 海底のうなりにその神殿のとびらを
音高く開き きわめてきわめて静謐にいわしろの大地をおおいつくした

いま年若い親たちは 耳をそばだてる もし音で聞こえるならば 音で聞きたいと
いま年経た人たちは 目を見開いて見たいとねがう もしも見えるならばと
人々は まどいにまどう 万物の命をおびやかす 目には見えぬ 聞きなれぬモノに

モノは大地にひそみ 眠らず老いず 限りあるいのちあるもののすきまに
すべりこみ本来の姿を変えさせるという まるで伝説の魔性のものではないか
されば伝説に習い 未来永劫地下深く幽閉してしまわねば 人は眠れない

おさなごとともに若い親たちの眠りが足りる日々はいつくるのか
世界中を震撼させたフクシマのモノが舞い降りた大地を 素足で走れる日々は
いつくるのか この大地がもたらした実りを躊躇なく味わえる日々はいつくるのか

開け放しの家々から おさなごの澄んだ声が聞こえていたのは いつ
灯ともし頃 こどもたちに夕餉を知らせる呼び声が聞こえていたのは いつ
木を炊くにおい 草いきれ きままにうろつく犬たちがいたのは いつ

人はもう かつてのつつましい日々には もどれない
世界中の物事を瞬時に見うる映像や 音のない世界にはもどれない
体臭のしない互いの映像でつながりいやしあういまからは もうもどれない

いまを漂流するフクシマの大地で 私たちは なつかしい情緒の日々に別れを告げ
未来への水路をみつけなければならない
滅びようとしているたくさんの種と共生できる未来を 沈黙させてはならない
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by okabar | 2012-02-26 15:59 | とうほく
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