福島の詩人たち④五十嵐進さん「農をつづけながら…フクシマにて」

1月22日の勉強会で、
藤井貞和さんの配ってくだすったプリントに、会津の俳人、五十嵐進さんの文章がある。
事故から4ヵ月後に発表された文章で、重要なことがたくさん書かれてある。
自衛隊の活動についても言及されているという点において大切な記録である。


「農をつづけながら…フクシマにて」 

 人間は情報によって告発すべきではない。その現場に、はだしで立った者にしか告発は許されないというのが、私の考え方である。
―――とは、私、五十嵐のことばではない。ない、がかつてこの一文に遭遇した時の共振の思いはいまもつづいている。

   
  やけに鳴く鳶よそこに異変はあるか


 私は会津・喜多方に住み、昨年社会的な職も人並みに勤め上げて、今は土を耕している。父祖伝来の土である。この土が三月一二日の福島第一原子力発電所の水素爆発により吐き出された放射性物質によって汚染の土と化してしまった。一〇〇km離れた地点とはいえ、爆発前にはなかった放射線の数値が毎日検知されている。0・15マイクロシーベルト/h前後の数値である。高い数値の土地と比べれば低い数値かもしれないが、それは相対的な問題である。爆発前の数値0・03くらいの数値からすると5倍、と思えば安心してはいられない。まず、子どもや孫に送っていた土地の産物は送ることはできない。小さい子どもに遊びに来い、とは言えなくなってしまった。芋掘りをさせよう、とうもろこしを畑からとってきて七輪で焼いて醤油を塗って食べさせよう、畑から西瓜をとってきて小さな手で包丁を持って切らせよう。その歓声を、その笑顔を見られない。何年後かに死ぬ、死ぬまでの生涯のささやかなたのしみを奪われてしまった。近くでテント生活も計画していた。それももうできない。一瞬にして奪われてしまった一人の男の無念さ。それで済んでいる、と言われればそうである。故郷を追放された人達さえいるのだ。そう思いつつも、いまある自分から考えるしかない。土を起こし、畝を作りながら考える。耕して放射性物質を鋤き込んでしまっていいのか迷いつつ。

  
  あゝ以後は放射能と生きてゆくのかあやめ
  月を見る放射能で眼くもるぞ
  放射線に色を!極彩色の故山かよ
  黒澤の「夢」の赤富士セシウムの青  
  無味無臭無色で降ってくる怒り
  怒りつつ平常心で見る若葉
  御用学者といわれても守れ子どもは


 巧みに操作されている情報を消去・訂正しつつ考えなければならない。それは普通にテレビ、新聞の情報でもわかる。「後出し」である。じつは当局はそんなことは当初からわかっていたのだ。東京電力は「事故」発生から2ヶ月以上も過ぎた五月一五日、福島第一原発一号機のメルトダウンを公式に認め、二四日には二号機、三号機もメルトダウンしていたことを認めた。翌二五日には一号機、二号機の原子炉格納容器に7~10cmの穴が空いていると、大変な事実を、私の印象からすると、いともあっさりと発表。これを爆発時に発表していたら日本中はどのような反応をみせただろうか。世界の多くの人に感銘を与えたという東北人の礼儀正しさ、我慢強さ、をここでも発揮しただろうか。当局は意図的な情報操作で大パニックを回避したのだ。後日、首相補佐官だった細野豪志が「パニックを回避するためだった」と認めている。放射能拡散予測データ(SPEEDI試算)についても震災直後に飯館村などの大量被曝を予測できていたのにデータを隠していた。なんという人身操作であろうか。このことによって浜通り、中通りの多くの人々が、逃げれば避けえた被曝線量を過剰に浴びることになったのだ。被曝環境に働く人達でも年間平均被曝量は0・21ミリシーベルトなのに文科省の基準は1から20ミリシーベルトに引き上げられたのは周知の事実。福島の親達もさすがに動いて注目された。「原子力ムラ」の小佐古教授ですら泣き声で記者会見した危険な数値であるのに、こんな動きがなければこの数値はそのまま通り、危険地帯に福島県民は放置されたのだ。いや、いまも放置されているのが現実だ。被曝量を低く設定すれば東京電力の賠償範囲が膨大なものになるからというのがこの動きの本筋のようだ。国民の健康・安心より東電の利害を優先する政治倫理の堕落。さらに大気中の放射線量が毎日マスメディアでも報道されるが、放射線量検知器がどこにどのように設置されているかは知らされていない。なんと冷戦時代の核実験による放射能飛散状態を検知するために設置された地上80mもあるところでのデータも発表の中には入っているという。東京都内や関東近郊では、「18~20m」などという高さでの数値を発表し、地表より低く出ていることを説明しなかった(週刊現代6/11号)。危険域を数字で操作し国民を愚弄する当局の姿勢の断面である。
 
 私は次のことばが忘れられない。郡山市の小川芳江さんの文中のことば。「その主催者の方はすごくいい人なんですが、(会が)終わって私と二人っきりになった時に『いや、うちの孫、将来お嫁さんもらう時に福島の人はもらえないなあ』って」。(「DAYSJAPAN」7月号)忘れられない。これが本音なのだ。今だけの沈静を求める政治屋には一〇年先、二〇年先に起こるだろうこういう福島県人差別はまったく見えないだろう。ヒロシマ、ナガサキに起こったと同じ新たな被曝者差別がきっと出てくるだろう。悲惨なことだ。これはそんな先の話ではない。もうすでに、福島県の男性と結婚しようとした女性の親が福島に住むことになるのならこの結婚には反対だと言って事態が謬着しているという事実がある。小さくは福島ナンバーの車への理不尽な差別をはじめ日本人はやるのだ、こういう闘うべき相手の錯誤の中で愚かに同士討ちする卑小さの露呈を。しかし、こういう差別による悲劇を将来けっして起こしてはならない。そのためにもなぜ福島市・伊達市・二本松市・郡山市等を特別非難区域として非難・疎開させないのか。福島市二九万人、郡山市三三万人を移動させる場所が、金が問題なのだという声が聞こえてくる。その声がもし本当なら政治家失格・人間失格ではないのか。人命を安全を保障せずしてなんのための「国」「県」なのか。何を削っても予算措置をし対応すべきではないか。まずは東電から、そして電通連の積立金から調達すればいい。できるし、しなければならないことの最優先順位ではないか。直接に放射能被災のムゴさが見えないのをいいことに見て見ぬふりを決め込む算段である。福島を低線量被曝の人体実験場にするつもりか。福島市のある女性(六〇歳)はこの八月に県レベルで行うとした健康検診は受けないという。「危険区域に生かされているモルモット扱いではないか、データをとるための」という憤りである。この憤りを爆発させえないものかともどかしい。これは東北人の礼儀正しさ、我慢強さとかではなく異常なまでの従順さなのではないか。飼い慣らされた、去勢されたとでも言ってしまいたい醜態である。教育の普及率の高さなどと言うが素直で従順で怒るべき時に怒れないあわれな羊の量産ではないか。これを「教育の成果」というのであろう。怒れ!福島のヒトよ。
 
 冒頭の石原吉郎の一文を想起しつつも、半分「現場に、はだしで立」ちつつ、なるべく確かな情報を獲りつつ、考える。原発爆発直後の報道を振り返るとテレビもラジオも新聞もパニックを押さえようとするだけの政府の下請け機関のような報道一色だった(記者クラブの存在も大きい)。ことの重大さを把握しつつ、御用学者を全面に出しての情報操作。福島に関しては「ミスター大丈夫」と異名をとった長崎大学の山下俊一教授。大丈夫大丈夫と県民を宥めすかし、高汚染地区の住民の非難を遅らせ被曝を大きくした(厚顔にも福島医大の副学長に納まることになった由。どういう仕事をしてくださるのか注視していきたい)。御用学者の後ろには政府、そして東京電力がいる。そして電通連。電通連は自民党、電力総連は民主党のバックである。国民を本当に思う隙間はない。六月の早々に東京電力はボーナスを出した。東京電力のせいで故郷を追われ、土地を捨て、家畜を捨て、家を捨て、海を、山を奪われ、放射能に子々孫々まで苦しまなければならない人々を生み出しておいて、避難所生活を強いておいて、おいおいそれはないだろう、という声はないのか。「東電さん」の労働者の中からもないのか。七月始めの福島県民の投書(毎日新聞)では避難先で避難民の万引きが出ているというではないか。一回の一時金100万円では底をついてしまってのせつない犯行だという。この窮状を見ぬ振りをできるのか。私も投書したが(不採用だったが)、東電の社長・会長をはじめ役員は給料減はもちろん、私財を投じてもこの原発の被災者を救わなければならないのではないか。株式会社であることはじゅうじゅう承知の上での話である。株主も無関係という顔はさせられない。破産を辞さない覚悟をすべきだ。それだけ大きいことなのだという自覚はあるのか。特に役員達よ、東京にいたのでは見えない。一家転住して福島に住むべきではないか。地にまみれ被災の現実にまみれよ。私はあの水俣の被害者のひとりがチッソのお偉方に対して言った言葉を怒りを込めて思い出す。「銭は一銭もいらん。会社のえらか衆の、上から順々に、水銀母液ば飲んでもらおう。上から順々に、四十二人死んでもらう。奥さんがたにも飲んでもらう。胎児性の生まれるように、そのあと順々に六十九人、水俣病になってもらう。あと百人ぐらい潜在患者になってもらう。それでよか」と言ったことばを思い出す。私はそのぐらいの気持ちである。大金持ちの企業には倫理というものがないのか。あの見苦しい、聞き苦しいまでの菅総理下ろしの騒動。避難民そっちのけの悶着。あれは東電・電事連・自公両党の醜い責任隠しであることを指摘したのは「東京新聞」である。『「菅下ろし」の風は、なぜ今、急に、これほどの力を得たのか。背後に見え隠れするのは『原発』の影だ。初の市民運動出身宰相は、この国の禁忌に触れたのではなかったか。」と(6/3)。「この国の禁忌」とはなにか。発送電分離、浜岡原発の停止等エネルギー政策の転換、事故調査・検証委員会の設置による自公旧長期政権の責任究明への恐れ、それを「菅政権の不手際」に問題を矮小化しようとしての「菅下ろし」だとの指摘である。支持・支援という名にからんだ金絡みの醜態である。東日本大震災・福島第一原発爆発が焙り出していく日本の「指導層」のなさけない現実である。
 
 最後にひとつ述べたい。自衛隊が救援活動において大きな働きをしてくれた。その活動に多くの人達が左右を問わず賞賛の声をあげている。私も隊員のひとりひとりに慰労申し上げたい気持ちだ。しかし、隊員ひとりひとりの思惑をこえて動きは作られているのである。雑誌「軍事研究」六月号は「大震災と戦う『災統合任務部隊』と米軍」という特集を組んでいる。藤井非三二という「戦史研究家」の論文「災統合任務部隊『JTF-TH』始動」が載っていて一〇・七万人という大部隊を被災地全域に三月一九日正午まで、たった一週間で展開させた経緯とそれを可能にした理由が書かれている。その理由の一つに「被災地への経路の確保と維持」とあり、具体的には「自衛隊はまず東北自動車道を抑えた。二二日の連休明けまで一般車両の通行を制限し、自衛隊を主力とした緊急車両専用としたのだ。」と記す。東北自動車道は三月一一日以後二日間は動かなかったが、三月一四日以降は完全に動いていたのだ。新聞・テレビ報道では震災で高速道路は寸断され、震災直後から全面通行止めになったということだったのだ。全面解除になったのは三月二四日だった。道路寸断はデマだったのだという(横校労機関紙)。自衛隊初の、非常時における一〇万人という大規模な出動を成功させるために事実上の「戒厳令」状態にした、軍隊としての自衛隊にとっての戒厳令の予行練習カモフラージュのためだったという。藤井論文と符号するのだ。阪神大震災を教訓化しての格好の実践の場としたのだ。毎日新聞の小さな記事によると米軍も高く評価しているとのこと。この非常事態を非常事態として利用する大きな動きがあることを知ってしまう。一般人には見えない日本国土を戦場と見ての動きが自衛隊員の被災地での個々の活動にダブってしまう。見誤ってはいけない視角である。
 
 この東日本大震災、なかんずく東電の原発水素爆発についてもっともジャーナリズムの使命を果たしてきたのは「週刊現代」だと評価したい。使命とは権力批判である。政府・政治屋はもちろん官・財・学・マスコミ界を覆う巨大権力東京電力との関わりとその責任の追求と追究である。相撲界の八百長問題について敗訴しながらも粘り強く追究し、ついに事実を暴いた取材精神が今回もいかんなく発揮されている。「週刊金曜日」「DAYSJAPAN」「食品と暮らしの安全基金(旧日本子孫基金)」「東京中日新聞」も確かな取材・記事である。考える時の大事な情報源として伴走したい。
 ここ喜多方においては、すでに肉牛の餌に使った稲藁の放射性セシウム汚染が明らかになっている。皆寡黙ながらこの放射能の影響が農作物に、特に米どころとして米にどれだけの影響がでるか、不安な思いで作物と向かい合う日々がつづく。

(2011年7月―『駱駝の瘤通信②』より転載)   
 らん55号 2011年十月十日発行より
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by okabar | 2012-04-14 18:22 | とうほく
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