こないで

今日という日はまだまだ先だと思っていた。でも、来てしまいました。

昨日3月5日、夜ごはんを作って一人で食べた。
最近は心身のゆらぎの影響か、以前はほとんど食べなかったインスタントラーメンなどを食べているのだが、食事がすみ、洗い物をしているときに、「明日が来なければいいのに。」と、ふと強く願った。
食器をスポンジでこすりながら、お湯を流しながら、明日が来ないように願った。

3月の声を聞いたのに、寒風ふきすさび、雨音が世界をゆらす夜。
明日を洗い流す雪解け水なのか。
わけもなく、合羽を着て雨の降る夜自転車をこいだ。
このまますべてを忘れて流されてしまいたかった。

まわりのみんなに
「いよいよか。」
「閉店するの?」
「ついに。」
「辞めないで。」
などといわれるたびに、残念そうな顔を見るたびに、2月の店員卒業式で、毎週山ののように人が来るたびに、そんな周りの後ろ髪を引っ張るような想いから、実は少し距離を置いている自分を確かめた。
ありがたいと思いつつ、自分ではそこまで辞めることに対して、起伏のある想いを抱いていなかった。閉店は自分の選択であり、希望なのだ。


でも、昨日、洗い物をしながら、願ったこと。

明日がこないで。
どうか、こないで。
こないで、こないで、こないで。

いや。
むしろ「こないで。」と思っていたのは毎週なのではないだろうか。
いつも仕事を終えて、一度帰宅してから30分ほどしてOKABARに向かうのだが、その短時間の間に抱いていた感情が、「こないで。」だった。

いつもOKABARの数時間前から、OKABARが始まらないことを祈っていた。「こないで。」と祈っていた。
それでも、始まってしまう時間。そして終わってしまう時間が毎週、毎週。
ふと、昔のOKABRADIOを聞いてみた。
ラジオの中の昔の自分はやはりOKABARに行く前に「こないで。」と願っていたことを告白していた。

終わってしまうと、とても清々しい気持ちになるのだけど、始まる前は「こないで。」と願う矛盾。
実は、ほんとうはOKABARに行くことがイヤなのかもしれない。
ほんというと、接客するのなんかいやで、人を集めたいなんてうそで、買い物もめんどくさいし、酔客の相手なんてクソクラエで、深夜まで働くなんてまっぴら。何のためにやっているのか、わからない。

短時間のあいだの「こないで」という願いは、そんな自分の闇のささやきのようだ。
昨日強く願った、「こないで。」は350週分の憂鬱だったのか。
とにかく来てほしくなかった今日。

それでも来てしまった。3月6日。
来てはならなかったのだけど、絶対に来るとわかっていたのだけど、来てしまった。
目が覚めてしまった。

「こないで。」と今も思う。
それでも、それなのに、それにもかかわらず、ぼくはOKABARを開けに行く。

e0137489_15343636.jpg


6年間とちょっとありがとうございました。
[PR]
by okabar | 2014-03-06 15:48 | よくぼう
<< 余韻に浸る!と、きれいにまとめ... われに返る >>