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福島の詩人たち①の4 若松さん「二月十九日、ダイアログ・フェスティバルでの子どもたちが知りたいこと」

2012年2月18日と19日に、南相馬ではダイアログ・フェスティバルが開かれたようです。
そこで発せられた子どもたちの問いを受けての作品(メモ?)でしょうか。
若松さんから藤井さんへと渡されたメモが、渡されてわたしの手元にもあります。




二月十九日、ダイアログ・フェスティバルでの子どもたちが知りたいこと
                                          
                                     


いつになったらプールに入れますか 小5
海や川で遊べるのはいつですか
いつ、釣りができるようになりますか 小5
雨でもサッカーができるようになりますか
いつになったら雪にふれていいんですか? 小3
すなあそびができるようになりますか
ほうしゃせんを気にせず外で遊べるのはいつですか? 小5
飼い犬は屋外で放し飼いにしていて大丈夫ですか
20km内の動物の命は?


いつまでこの状況が続くのですか?
事故はいつになったら終そくしますか
原発の状態はほんとうはどうなっているの?
今度、津波や地震がきても大丈夫なのか?
原発はもう爆発しませんか? 小5
危なくなったら次の避難指示ができるのか?
放射能はいつになったらなくなりますか
私たちが生きているうちに放射能問題はなくなりますか?


いつになったら友達が安全に帰って来れるのですか? 小5
けいかいくいきの中の自分の家に帰れますか? 小3
警戒区域解除後、住民はもどってくるのか 小5
帰れない人はどうすればいいんですか
安全というけれど、本当に将来安心してすごせるか!
30km以内に子どもがいていいのか?
原町の小学校に子ども達を通わせて本当に大丈夫なのでしょうか
ここに住んでいて本当に大じょうぶなの? 小5


いつになったら南相馬で農業ができるのですか?
以前のような生活を送ることができます?

まだ見つかっていない行方不明の人!はやく家族のもとに帰したい!
病院がいつもどおりに戻るまでどのくらいの時間がかかりますか
いつになったら仙台までの電車が動きますか 中3
6号線はいつ全面開通しますか
福島の電気を使っていた都会では道路などがますます便利になるのに、電気を送っていた福島相双では万が一のための郡山や福島への道路が満足でない!見捨てたのですか?
国が福島のために何をしてくれているのか? 政府は本当のことをかくしていたのか?


放射能除染の効果が本当にあるのかどうか
放射能はどのくらいあびると危険なのですか 中3
将来、がんになりませんか?
私達が将来白血病、ガンなどになる確率は何%ですか?
甲状線ガンは、福島県内でいつなってもおかしくない、私たちを死に追いやる病気なのですか? 私たちは悪いことをしていないのに、なぜ同じ日本国民からまでも死の町などとよばれなくてはいけないのですか? 中3
将来、子供が産めますか? 中
僕はいつまで楽しく生きられるでしょうか
水道水を飲んでもいいですか
じいちゃんのうちのすいかをたべてもいいですか


東電と保安院がついたウソの数
原発は本当に必要なのか?
これ以上、私たちを苦しめないで!
地球はどのくらいまでもちますか?
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by okabar | 2012-06-13 19:52 | とうほく

福島の詩人たち⑤ 和合亮一さん「詩ノ黙礼」

こちらも藤井さんが1月22日の白龍会のおり、プリントで配ってくだすった詩。
和合亮一さんの『詩ノ黙礼』という詩集から。
勉強会の時、この詩を藤井さんが朗読してくださり、じん。




詩ノ黙礼 4/23 不眠    


電灯の無い文知摺橋。暗闇を行く黒い影。移動。暗闇から暗闇へと移動する悲しい影。電光掲示板に灯される力の無い文字。「20キロ圏内、立ち入り禁止」。移動する影。

朝から雨が降っていた。優しい雨。悲しい雨。計画的避難。3000世帯。五月末までに10000人と指定される。朝から雨が降っていた。私は髪を切りに出かけた。

精神の髪を切りながら、耳を宇宙の内側に傾けている。隣の精神の髪を切られているお客さんが語る。「おらいの嫁のうぢの家族がよ、避難してきたんだ。南相馬がらな。んだげど、馬が心配だがらって、帰っていったんだ、この前」。

お嫁さんの家のご家族は、避難していくところはあるのですか。「無い」。精神の髪は切られている、精神の髪は切られていく。

んだげんちょも、生ぎでんだべ、人も、馬も。髪も。切られでしまっで、いいのがい。私は精神の髪を切られている。宇宙の内側に耳を傾ける。雨の音。

雨の奥から、懐かしい音が聞こえてくる。竹刀の打ち合う音だ。

目を閉じながら、精神の髪を洗ってもらう。耳。泡。はじける音が、竹刀の打ち合う音と似ている。剣道をやっていた。小学校五年生から高校一年生まで。竹刀の打ち合う音。洗髪の音。泡の音。竹刀の音。

雨が地面と打ち合う。国家が人と打ち合う。海が街と打ち合う。風が生活と打ち合う。竹が竹刀と打ち合う。正義が義務と打ち合う。優しさが処罰と打ち合う。悲しみが悲しみと打ち合う。打ち負かす。悲しみが悲しみに打ち負ける。髪が泡と打ち合う。髪が指と打ち合う。泡が水に打ち負ける。洗髪。

髪が乾かされる。すっかりと短くなった。日本の現在に髪を切られたのだ。

精神の髪を切る理容師は、話した。「避難所を何ヶ所か回った。岩手も宮城も福島も。髪を切ってあげたのだ。しかし福島の避難所の人々は表情が硬い気がする」。日本の現在は髪を切るのだ。日本の現在の髪を日本の現在は切る。日本の現在の髪は日本の現在に切られていく。

切られていない髪と切られている髪と切られた髪、私たちの精神はこの三者を持て余す。私たちの精神の髪を、誰か、梳かして下さい。黙礼。


以下略。






※この詩集もツイッターで書かれたものをまとめたもので、上に紹介したのは4月23日に書かれたものの一部。ほんとはもっと長く続いていく。ひとつひとつが瞬間の、つらなり。

※文知摺橋→もちずりばし
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by okabar | 2012-06-01 18:55 | とうほく

福島の詩人たち④五十嵐進さん「農をつづけながら…フクシマにて」

1月22日の勉強会で、
藤井貞和さんの配ってくだすったプリントに、会津の俳人、五十嵐進さんの文章がある。
事故から4ヵ月後に発表された文章で、重要なことがたくさん書かれてある。
自衛隊の活動についても言及されているという点において大切な記録である。


「農をつづけながら…フクシマにて」 

 人間は情報によって告発すべきではない。その現場に、はだしで立った者にしか告発は許されないというのが、私の考え方である。
―――とは、私、五十嵐のことばではない。ない、がかつてこの一文に遭遇した時の共振の思いはいまもつづいている。

   
  やけに鳴く鳶よそこに異変はあるか


 私は会津・喜多方に住み、昨年社会的な職も人並みに勤め上げて、今は土を耕している。父祖伝来の土である。この土が三月一二日の福島第一原子力発電所の水素爆発により吐き出された放射性物質によって汚染の土と化してしまった。一〇〇km離れた地点とはいえ、爆発前にはなかった放射線の数値が毎日検知されている。0・15マイクロシーベルト/h前後の数値である。高い数値の土地と比べれば低い数値かもしれないが、それは相対的な問題である。爆発前の数値0・03くらいの数値からすると5倍、と思えば安心してはいられない。まず、子どもや孫に送っていた土地の産物は送ることはできない。小さい子どもに遊びに来い、とは言えなくなってしまった。芋掘りをさせよう、とうもろこしを畑からとってきて七輪で焼いて醤油を塗って食べさせよう、畑から西瓜をとってきて小さな手で包丁を持って切らせよう。その歓声を、その笑顔を見られない。何年後かに死ぬ、死ぬまでの生涯のささやかなたのしみを奪われてしまった。近くでテント生活も計画していた。それももうできない。一瞬にして奪われてしまった一人の男の無念さ。それで済んでいる、と言われればそうである。故郷を追放された人達さえいるのだ。そう思いつつも、いまある自分から考えるしかない。土を起こし、畝を作りながら考える。耕して放射性物質を鋤き込んでしまっていいのか迷いつつ。

  
  あゝ以後は放射能と生きてゆくのかあやめ
  月を見る放射能で眼くもるぞ
  放射線に色を!極彩色の故山かよ
  黒澤の「夢」の赤富士セシウムの青  
  無味無臭無色で降ってくる怒り
  怒りつつ平常心で見る若葉
  御用学者といわれても守れ子どもは


 巧みに操作されている情報を消去・訂正しつつ考えなければならない。それは普通にテレビ、新聞の情報でもわかる。「後出し」である。じつは当局はそんなことは当初からわかっていたのだ。東京電力は「事故」発生から2ヶ月以上も過ぎた五月一五日、福島第一原発一号機のメルトダウンを公式に認め、二四日には二号機、三号機もメルトダウンしていたことを認めた。翌二五日には一号機、二号機の原子炉格納容器に7~10cmの穴が空いていると、大変な事実を、私の印象からすると、いともあっさりと発表。これを爆発時に発表していたら日本中はどのような反応をみせただろうか。世界の多くの人に感銘を与えたという東北人の礼儀正しさ、我慢強さ、をここでも発揮しただろうか。当局は意図的な情報操作で大パニックを回避したのだ。後日、首相補佐官だった細野豪志が「パニックを回避するためだった」と認めている。放射能拡散予測データ(SPEEDI試算)についても震災直後に飯館村などの大量被曝を予測できていたのにデータを隠していた。なんという人身操作であろうか。このことによって浜通り、中通りの多くの人々が、逃げれば避けえた被曝線量を過剰に浴びることになったのだ。被曝環境に働く人達でも年間平均被曝量は0・21ミリシーベルトなのに文科省の基準は1から20ミリシーベルトに引き上げられたのは周知の事実。福島の親達もさすがに動いて注目された。「原子力ムラ」の小佐古教授ですら泣き声で記者会見した危険な数値であるのに、こんな動きがなければこの数値はそのまま通り、危険地帯に福島県民は放置されたのだ。いや、いまも放置されているのが現実だ。被曝量を低く設定すれば東京電力の賠償範囲が膨大なものになるからというのがこの動きの本筋のようだ。国民の健康・安心より東電の利害を優先する政治倫理の堕落。さらに大気中の放射線量が毎日マスメディアでも報道されるが、放射線量検知器がどこにどのように設置されているかは知らされていない。なんと冷戦時代の核実験による放射能飛散状態を検知するために設置された地上80mもあるところでのデータも発表の中には入っているという。東京都内や関東近郊では、「18~20m」などという高さでの数値を発表し、地表より低く出ていることを説明しなかった(週刊現代6/11号)。危険域を数字で操作し国民を愚弄する当局の姿勢の断面である。
 
 私は次のことばが忘れられない。郡山市の小川芳江さんの文中のことば。「その主催者の方はすごくいい人なんですが、(会が)終わって私と二人っきりになった時に『いや、うちの孫、将来お嫁さんもらう時に福島の人はもらえないなあ』って」。(「DAYSJAPAN」7月号)忘れられない。これが本音なのだ。今だけの沈静を求める政治屋には一〇年先、二〇年先に起こるだろうこういう福島県人差別はまったく見えないだろう。ヒロシマ、ナガサキに起こったと同じ新たな被曝者差別がきっと出てくるだろう。悲惨なことだ。これはそんな先の話ではない。もうすでに、福島県の男性と結婚しようとした女性の親が福島に住むことになるのならこの結婚には反対だと言って事態が謬着しているという事実がある。小さくは福島ナンバーの車への理不尽な差別をはじめ日本人はやるのだ、こういう闘うべき相手の錯誤の中で愚かに同士討ちする卑小さの露呈を。しかし、こういう差別による悲劇を将来けっして起こしてはならない。そのためにもなぜ福島市・伊達市・二本松市・郡山市等を特別非難区域として非難・疎開させないのか。福島市二九万人、郡山市三三万人を移動させる場所が、金が問題なのだという声が聞こえてくる。その声がもし本当なら政治家失格・人間失格ではないのか。人命を安全を保障せずしてなんのための「国」「県」なのか。何を削っても予算措置をし対応すべきではないか。まずは東電から、そして電通連の積立金から調達すればいい。できるし、しなければならないことの最優先順位ではないか。直接に放射能被災のムゴさが見えないのをいいことに見て見ぬふりを決め込む算段である。福島を低線量被曝の人体実験場にするつもりか。福島市のある女性(六〇歳)はこの八月に県レベルで行うとした健康検診は受けないという。「危険区域に生かされているモルモット扱いではないか、データをとるための」という憤りである。この憤りを爆発させえないものかともどかしい。これは東北人の礼儀正しさ、我慢強さとかではなく異常なまでの従順さなのではないか。飼い慣らされた、去勢されたとでも言ってしまいたい醜態である。教育の普及率の高さなどと言うが素直で従順で怒るべき時に怒れないあわれな羊の量産ではないか。これを「教育の成果」というのであろう。怒れ!福島のヒトよ。
 
 冒頭の石原吉郎の一文を想起しつつも、半分「現場に、はだしで立」ちつつ、なるべく確かな情報を獲りつつ、考える。原発爆発直後の報道を振り返るとテレビもラジオも新聞もパニックを押さえようとするだけの政府の下請け機関のような報道一色だった(記者クラブの存在も大きい)。ことの重大さを把握しつつ、御用学者を全面に出しての情報操作。福島に関しては「ミスター大丈夫」と異名をとった長崎大学の山下俊一教授。大丈夫大丈夫と県民を宥めすかし、高汚染地区の住民の非難を遅らせ被曝を大きくした(厚顔にも福島医大の副学長に納まることになった由。どういう仕事をしてくださるのか注視していきたい)。御用学者の後ろには政府、そして東京電力がいる。そして電通連。電通連は自民党、電力総連は民主党のバックである。国民を本当に思う隙間はない。六月の早々に東京電力はボーナスを出した。東京電力のせいで故郷を追われ、土地を捨て、家畜を捨て、家を捨て、海を、山を奪われ、放射能に子々孫々まで苦しまなければならない人々を生み出しておいて、避難所生活を強いておいて、おいおいそれはないだろう、という声はないのか。「東電さん」の労働者の中からもないのか。七月始めの福島県民の投書(毎日新聞)では避難先で避難民の万引きが出ているというではないか。一回の一時金100万円では底をついてしまってのせつない犯行だという。この窮状を見ぬ振りをできるのか。私も投書したが(不採用だったが)、東電の社長・会長をはじめ役員は給料減はもちろん、私財を投じてもこの原発の被災者を救わなければならないのではないか。株式会社であることはじゅうじゅう承知の上での話である。株主も無関係という顔はさせられない。破産を辞さない覚悟をすべきだ。それだけ大きいことなのだという自覚はあるのか。特に役員達よ、東京にいたのでは見えない。一家転住して福島に住むべきではないか。地にまみれ被災の現実にまみれよ。私はあの水俣の被害者のひとりがチッソのお偉方に対して言った言葉を怒りを込めて思い出す。「銭は一銭もいらん。会社のえらか衆の、上から順々に、水銀母液ば飲んでもらおう。上から順々に、四十二人死んでもらう。奥さんがたにも飲んでもらう。胎児性の生まれるように、そのあと順々に六十九人、水俣病になってもらう。あと百人ぐらい潜在患者になってもらう。それでよか」と言ったことばを思い出す。私はそのぐらいの気持ちである。大金持ちの企業には倫理というものがないのか。あの見苦しい、聞き苦しいまでの菅総理下ろしの騒動。避難民そっちのけの悶着。あれは東電・電事連・自公両党の醜い責任隠しであることを指摘したのは「東京新聞」である。『「菅下ろし」の風は、なぜ今、急に、これほどの力を得たのか。背後に見え隠れするのは『原発』の影だ。初の市民運動出身宰相は、この国の禁忌に触れたのではなかったか。」と(6/3)。「この国の禁忌」とはなにか。発送電分離、浜岡原発の停止等エネルギー政策の転換、事故調査・検証委員会の設置による自公旧長期政権の責任究明への恐れ、それを「菅政権の不手際」に問題を矮小化しようとしての「菅下ろし」だとの指摘である。支持・支援という名にからんだ金絡みの醜態である。東日本大震災・福島第一原発爆発が焙り出していく日本の「指導層」のなさけない現実である。
 
 最後にひとつ述べたい。自衛隊が救援活動において大きな働きをしてくれた。その活動に多くの人達が左右を問わず賞賛の声をあげている。私も隊員のひとりひとりに慰労申し上げたい気持ちだ。しかし、隊員ひとりひとりの思惑をこえて動きは作られているのである。雑誌「軍事研究」六月号は「大震災と戦う『災統合任務部隊』と米軍」という特集を組んでいる。藤井非三二という「戦史研究家」の論文「災統合任務部隊『JTF-TH』始動」が載っていて一〇・七万人という大部隊を被災地全域に三月一九日正午まで、たった一週間で展開させた経緯とそれを可能にした理由が書かれている。その理由の一つに「被災地への経路の確保と維持」とあり、具体的には「自衛隊はまず東北自動車道を抑えた。二二日の連休明けまで一般車両の通行を制限し、自衛隊を主力とした緊急車両専用としたのだ。」と記す。東北自動車道は三月一一日以後二日間は動かなかったが、三月一四日以降は完全に動いていたのだ。新聞・テレビ報道では震災で高速道路は寸断され、震災直後から全面通行止めになったということだったのだ。全面解除になったのは三月二四日だった。道路寸断はデマだったのだという(横校労機関紙)。自衛隊初の、非常時における一〇万人という大規模な出動を成功させるために事実上の「戒厳令」状態にした、軍隊としての自衛隊にとっての戒厳令の予行練習カモフラージュのためだったという。藤井論文と符号するのだ。阪神大震災を教訓化しての格好の実践の場としたのだ。毎日新聞の小さな記事によると米軍も高く評価しているとのこと。この非常事態を非常事態として利用する大きな動きがあることを知ってしまう。一般人には見えない日本国土を戦場と見ての動きが自衛隊員の被災地での個々の活動にダブってしまう。見誤ってはいけない視角である。
 
 この東日本大震災、なかんずく東電の原発水素爆発についてもっともジャーナリズムの使命を果たしてきたのは「週刊現代」だと評価したい。使命とは権力批判である。政府・政治屋はもちろん官・財・学・マスコミ界を覆う巨大権力東京電力との関わりとその責任の追求と追究である。相撲界の八百長問題について敗訴しながらも粘り強く追究し、ついに事実を暴いた取材精神が今回もいかんなく発揮されている。「週刊金曜日」「DAYSJAPAN」「食品と暮らしの安全基金(旧日本子孫基金)」「東京中日新聞」も確かな取材・記事である。考える時の大事な情報源として伴走したい。
 ここ喜多方においては、すでに肉牛の餌に使った稲藁の放射性セシウム汚染が明らかになっている。皆寡黙ながらこの放射能の影響が農作物に、特に米どころとして米にどれだけの影響がでるか、不安な思いで作物と向かい合う日々がつづく。

(2011年7月―『駱駝の瘤通信②』より転載)   
 らん55号 2011年十月十日発行より
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by okabar | 2012-04-14 18:22 | とうほく

福島の詩人たち③ 松棠ららさん「時の送り」

こちらもクレマチスの会、2011年8月例会作品です。
新聞『福島民友』の編集日記(9月26日号)にその一部が引用され、
藤井貞和さんの文章にその全文が引用されているので、そこから。
松棠(しょうどう)ららさんと読みます。印象的なお名前です。



時の送り         松棠らら

十秒 一分、線量計を借り放射性物質量を計る。
雑草が茂る庭の真中は、無風の高さ1mで、
一、三μシーベルト/h。原発爆発から五ヶ月と二十日。
爆発時に満開の梅の実は落下したまま果て、来年の花に不安が。
二ヶ月目には耐え切れず窓を薄めに開け、黴と虫の繁殖を防ぎ、
乾燥に二時間の洗濯機にはもう頼らず八月からベランダに干す。

 一秒はセシウムを使って定義されている。

京都五山、盆の送り火は誕生日の前夜、毎年テレビで送る。
今年は陸前高田市の松の薪を大震災の犠牲者の冥福を祈り
燃やされる予定がセシウムが検出され抗議殺到で中止となる。
福島市民は毎日五ヶ月以上吸い続けています。
薪に書かれた被災者らの祈りを書き写した・・
鎮魂の念、意味と形は、もはや観光行事になってしまったのでしょうか。
多数の行方不明者と身元不明者を残し燃えている送り火。
京都は遠くなりました。

 世界標準時の基準は
 世界各地の三百個のセシウム原子時計を
 同期させ維持されている。

他都県に送る電力が、人災によって撒き散らす塵芥に、
汚染された食に関わる物、努力と工夫を重ねた各々の場所。

汚染を免れた物も、ごく微量な物も、
ひとからげにされ潰される。
風評という時が送る恐ろしい風の言葉。




引用以上。
京都は、福島から遠くなった。
福島から遠くなったその京都に、オカバーはある。
原発を推進してきた政党の後押しを受け市長が再選、
京都は、福島から遠くなった。
福島から遠くなったその京都に、オカバーはある。
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by okabar | 2012-03-10 14:09 | とうほく

福島の詩人たち② 内池和子さん「漂流する秋」

福島県現代詩人会は、定期的に『福島県現代詩人会会報』を出しています。
その会員で福島市在住の有志が集ってできた「クレマチスの会」というグループがあり、
その2011年9月の例会で内池和子さんによる以下の作品が発表されました。

会の顧問である太田隆夫さんは
「私たちが ささやかに灯してきた趣旨に添うものと グループ内で話題となりました。
このことから 東京電力福島第一原発事故のあとに渦巻く重苦しい状況を 小さいながらも各機関、各位に発信し ご理解を頂くためにご送付申しあげる次第でございます。」
と一言添えて、この詩を全国に送りました。

ちなみにクレマチスは花の名前です。
「写真で見る福島の花」というページがありましたので参考までに。
 

現代詩の会『クレマチス』9月例会作品
 鎮魂の祈りより





漂流する秋               内池和子


あきあかねが きみどりいろの目を ひからせながら むれてとんでいたのは いつ
もんきちょうが 風に ふかれるはなびらみたいに つがいでとんでいたのは いつ
かなへびが 石がきのすきまに こけいろにひかりながら はいこんだのは いつ

こんなにあつい日なのに 蟻がいない うちのまわりに 蟻がいない
蝉のむくろに 蟻がこない
蜘蛛だけが たまつばきの葉かげのちいさな巣で やせながらじっとうごかない

いつもの古巣が どうしても 見つからなかったつばめは 早めにもう旅立ったのか
すずめたちは 稲田のほうに むれているのか 日ざかりの盆地は雲におおわれ
かわらがずれ落ち かたむいた屋根屋根には からすもいない

わがものがおの たけ高いざっ草のしげみで こおろぎたちが鳴いている
車がきしむ音がする すこしむこうで ねじれた家を解体している音がする
あの日の 深い海底でずれおこった音が 耳のおくを ごうごうゆする

ゆすられながらまっくろの煙にも似た がれきの波の巨人が 億万の手をひろげ
二万の命を ありえたはずのたくさんの未来を ひきよせひきよせ たくしこみ
海底なる 造形の主に供御する図が 眼のおくを点滅する

いや思うまい ひたすら合掌し 鎮魂を祈ろう 死者たちを忘れまいと
人智など 歯牙にもかけぬこの球の営みのたしかさだけに思いをいたし
この球に生かされている万物のいのち その営みを侵すものを忌避しよう

あの日 人間界だけに いまだありえない福を生み出し いまだありえない幸いを
もたらす神として作られ君臨したモノは 海底のうなりにその神殿のとびらを
音高く開き きわめてきわめて静謐にいわしろの大地をおおいつくした

いま年若い親たちは 耳をそばだてる もし音で聞こえるならば 音で聞きたいと
いま年経た人たちは 目を見開いて見たいとねがう もしも見えるならばと
人々は まどいにまどう 万物の命をおびやかす 目には見えぬ 聞きなれぬモノに

モノは大地にひそみ 眠らず老いず 限りあるいのちあるもののすきまに
すべりこみ本来の姿を変えさせるという まるで伝説の魔性のものではないか
されば伝説に習い 未来永劫地下深く幽閉してしまわねば 人は眠れない

おさなごとともに若い親たちの眠りが足りる日々はいつくるのか
世界中を震撼させたフクシマのモノが舞い降りた大地を 素足で走れる日々は
いつくるのか この大地がもたらした実りを躊躇なく味わえる日々はいつくるのか

開け放しの家々から おさなごの澄んだ声が聞こえていたのは いつ
灯ともし頃 こどもたちに夕餉を知らせる呼び声が聞こえていたのは いつ
木を炊くにおい 草いきれ きままにうろつく犬たちがいたのは いつ

人はもう かつてのつつましい日々には もどれない
世界中の物事を瞬時に見うる映像や 音のない世界にはもどれない
体臭のしない互いの映像でつながりいやしあういまからは もうもどれない

いまを漂流するフクシマの大地で 私たちは なつかしい情緒の日々に別れを告げ
未来への水路をみつけなければならない
滅びようとしているたくさんの種と共生できる未来を 沈黙させてはならない
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by okabar | 2012-02-26 15:59 | とうほく

福島の詩人たち①の3 若松丈太郎さん「原発地帯に《原発以後》なし!?」

今回も若松さんの文章を紹介します。
福島の書き手たちが引用されながら、警鐘は鳴らされています。
最近でた『ひとのあかし』という詩集にもありますが、
これらの「予言」が当たるということは、決して喜べることではなく、
3月12日以降、若松さんが書いてきた文章は、不幸な名誉を背負わされ、
いまも悲しい響きを放っています。


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アーサービナード氏と若松丈太郎氏


原発地帯に《原発以後》なし!? [地域からの発信――福島]
               (『詩と思想』二〇一〇年七月一日)

 福島県は国内最大の電源地帯である。
 水力発電は、只見川流域にある電源開発のダムにかぎっても一九五九年に運転を開始した田子倉ダム三九万kwなど九基、計二三四万九三〇〇kw。地熱発電は国内最大の東北電力柳津西山地熱発電所(一九九五年運転開始)が六万五〇〇〇kw。風力発電も国内最大の電源開発郡山布引高原風力発電所(二〇〇七年運転開始)六万五九八〇kw。そして、東京電力福島第一・第二原子力発電所十基には計九〇九万六〇〇〇kwの出力がある。合計一一五〇万kw超のほとんどは首都圏・関東圏に送電される。
 福島県の太平洋岸を地元では浜通りと呼ぶ。その海岸台地の陰に人目から隔離して設置されている原発は、通りすがりの旅行者の視野に入ることは、まずない。
 では、原発の存在を、福島県内に住み表現活動をしている人びとはどうとらえてきたか、詩と短歌の書き手を中心に概観し、あわせて、当面する原発問題にも言及しよう。

   *

 立地自治体に隣接する町に住むみうらひろこ(浪江町)には、原発労働者の失踪を書いた詩「いってらっしゃい」や使用済み核燃料搬出作業がおこなわれている一日を書いた「ニュースの日」などがある。原発から三〇キロ圏内で暮らす佐々木勝雄(南相馬市)はその不安を「海は いま」で語る。
 歌人では、遠藤たか子(南相馬市)に原発作品がある。彼女の歌集から四首。


 警報音響けば椅子に手を垂れて視てゐる金網入りのガラスを(『水腑』から)
 閉めきって外に出るなと云はれしと父がひっそり新聞拡ぐ
 事故あれば被曝地となるこの町のそら晴れわたり鶸の群れとぶ
 地下室をもつ家ひそかにふえるまで古りし原発の故障はつづく
                        (以上『水のうへ』から)


 実際に原発内の労務に従事した人もいる。こんおさむ(南相馬市)は一九八〇年代末から一九九〇年代初めにかけて福島第二、浜岡、柏崎刈羽などで作業をしたという。詩の一節では《高濃度放射能の中を泳いだ》と言っている。詩集『道』所収「原子力発電所」「原発定検」ほかでは、実体験にもとづくリアリティーがなまなましい。


 マスク内の薄い酸素に
 体力が汗に流れて作業衣に重い
 巷に流れ飛ぶ
 危険も、安全も、要も、不要も
 放射能と一緒に原子炉格納庫内の
 磨いた水没弁の奥に閉じ込め 
 最後の気力で
 眼前の六十五ミリのナットを
 大ハンマーでたたきつける                  (「原発定検」部分)


 吉田真琴(本名・信、いわき市、一九三三年~一九八七年)の詩集『二重風景』に原発労働者の被曝を扱った作品「新春に」がある。


 人々が死に絶えたような静けさ
 不気味な安らぎの光景だ
 「巨大技術です 原発は安全です 安あがりの電力です」
 金に糸目をつけないパンフが氾濫し
 テレビでは操り人形がバラ色の夢をふりまく
 だがこの光景の背後に
 透けて見えるものは何?
 (略)
 それは炉作業で被曝して
 ブラブラ病の果てに死んでいった老農夫や
 皮膚に桜の花弁を散らして悶死した
 若者の幽魂か                          (「新春に」部分)

 
 歌人で特筆すべきは東海正史(本名・石田均、浪江町、一九三二年~二〇〇七年)である。原発のある双葉郡内で建設業・不動産の売買斡旋・賃貸家屋の保守管理などを営んでいたため、原発にかかわる人びとに接し、多くの見聞を重ねた。第三歌集を『原発稼動の陰に』と名付けたほど、原発を主題として創作した。彼の作歌活動に対し、さまざまな有形無形の誹謗や嫌がらせがあったという。その歌集から四首。

 
 被曝者の労務管理を糾す吾に圧力掛かる或るところより
 原発を誹謗する歌つくるなとおだしき言にこもる圧力
 原発疎む歌詠み継ぎて三十余年募る恐怖の捨て所無し
 欠陥原子炉壊して了へと罵れる吾を濡らして降る寒の雨


 捨てどころない《募る恐怖》や《吾を濡らして降る寒の雨》は、漏洩する放射能や放射能をふくむ雨によって直接的に得た表現であると同時に、浴びせられた誹謗・中傷による恐怖感も併せた表現なのだ。
 彼の短歌は「朝日歌壇」で馬場あき子や佐々木幸綱らにしばしば選ばれた。
 その遺作である二〇〇六年の作品から三首。


 原発定検ベテラン技師K君も白血病に冒され逝く
 報告書に軽微の被曝ありと書き出入り解かれし下請業者
 被曝して骨の髄病み臥す君の悔恨しずかに聞く秋の夜


 東海正史は二〇〇四年に『原発稼動の陰に』の「あとがき」で「原発稼動による疲弊と被曝は社会的に捨てて置けない問題である。これらの被曝者は私の知る範囲で死者十人を越え、聞く範囲ではこの倍にも及んでいる」と述べ、「こういう実態は初期稼動から三十有余年間繰り返して来たのである。原発が疲弊すればする程起り得る問題であるが、すべて秘密裡に処理されているのではないかと思う」と推理していた。彼の推理どおり、後に述べる一九七四年の臨界事故をふくめ《すべて秘密裡に処理されてい》たのである。
 東北大学教授坪野吉孝は「原発などで働き放射能を浴びた労働者に対する労災認定では、ごく一部のがん(例えば白血病や肺がん)などが対象なだけで、多くのがんは対象外。(略)原発労働者は救済されないままだ」(『朝日新聞』二〇一〇年三月九日)とその現状を問題視している。

     *

 東海となじ浪江町で旅館業を営んでいた北夏次(斉藤孝)は小説『原発銀座に日は落ちて』を書いた。旅館に宿泊する技術者、保安員など原発関係者の言動、原発建設推進をもくろむ自治体の首長や建設を拒否する地権者などが登場し、旅館のあるじである《わたし》もふくめ、巨大事業に翻弄される人びとが描かれている。
 原発に翻弄されているのは住民だけではない。自治体もそうだ。第一原発五・六号炉が立地する双葉町は原発の固定資産税や交付金の収入に依存して事業を拡大した結果、二〇〇七年度実質公債比率が三〇・一%で全国ワースト六位で、財政破綻のレッドカードともいうべき《早期健全化団体》となって、地方交付税の交付を受けている。そこで、このレッドカードを返上するために、七・八号炉の増設を望んでいるのだ。一号炉の出力は四六万kwだが、増設予定の七・八号炉はともに一三八万kwで、一号炉のじつに三倍の出力をもつ。原子炉の巨大化がすすんでいることも問題である。


 巨大なコンクリートの内壁断面が聳ち
 不可視な扉の向うがわで
 ゆれて手招くものの気配。

 人は
 そのたぐりがたさを断ち切り安全の恩寵に狂奔する。
 (略)
 安全という名の地獄を引きずり
 腐食の世界へ急ぐ蜃気楼
 No.5・No.6・の増殖炉の彼方
 わたしは視る
 五十年後の廃墟の俯瞰図を。                  (「燃える蜃気楼」部分)


 「燃える蜃気楼」は、一九七九年に原発構内のショールームを見学した天城南海子(本名・吉田操、福島市、一九一五年~二〇〇一年)の詩である。彼女は《五十年後の廃墟の俯瞰図》を視ているが、第一原発一号炉は一九七一年三月に稼動を開始して以来三十九年を経過していて、その《五十年後》は、あとわずか十年ほどのちにはやって来るのだ。
 第一原発の他の全原子炉も三十年以上も稼動しつづけていて、高経年化原子炉の廃炉と放射能低減までの放置(廃止措置)というまだその具体的道筋が確かではない問題にそう遠くない将来に直面することになる。そのとき、立地自治体にどんな負担が及ぶのか、まったくの闇のなかである。
 天城は、若い世代を励まし、やさしく見まもる人だった。二〇〇〇年に書かれ遺作となった次の短歌二首には、未来を見つづけてきた彼女の思いとは逆に、絶望的な思いがあふれでているかに感じられてならない。
 

 二十世紀は目に見えない汚染で幕を閉じるのかチェルノブイリの子供たちよ

 原発銀座を擁して息づくわれら子孫に残す何あるというか(「無風」から)


 大熊町の第一原発三号炉をプルサーマル化しようという計画を福島県は八年間拒否し続けてきたものの、ことし二月に福島県知事が条件付きで賛意を表明し、新段階を迎えている。核燃料サイクルの中核になる高速増殖炉の実用化目処が立っていない現状で、プルサーマルを実施することには大きな問題があるのだが。
 プルサーマル化しようとしている第一原発三号炉には、一九七八年に臨界事故を起こしながら、東電はそれをひた隠しに隠し、公表したのはなんと二十九年後の二〇〇七年だったという前科がある。事故は、一九七八年十一月二日午前三時ごろに発生した臨界状態が七時間三〇分間つづき、午前十時三十分ごろになってようやく制御棒の緊急挿入装置を手動で作動させて臨海状態を解消したというものである。東電は、運転日誌と制御棒位置記録を改竄し、国へも報告せずに隠蔽した。この隠蔽は、《事故情報の共有》という技術者倫理のうえで問題があっただけでなく、チェルノブイリ事故の八年前に発生した事故隠しだったことで、チェルノブイリをはじめとするその後の数々の事故を防げたかもしれないという意味でも、犯罪的行為だったのである。日常的に枚挙にいとまがない事故をくりかえしては、隠蔽し、データ改竄を重ね、一方で、《安全だ》と言いつづけてきた欺瞞ぶりとあわせ、これこそは偽りの極みというべきであろう。


 地上を最後の時間にまで食いつくす熱量
 それ故、漏らさぬよう
 暴れださぬよう密閉し
 密閉している限りでは
 「安全」を強調しなければならない
 それは戦争の始めから終りまで
 「勝つ」ことを強調し
 「神風」の御幣に呪縛したと同じ重量で
 そして反面には、それが嘘と判った時の
 虚脱した時の軽さで                     (「太陽の鳥」部分)


 箱崎満寿雄(いわき市・一九一四年~一九八八年)が右の詩で予測したように《それが嘘と判った》いまでは、東電の《安全だ》というCMなどはさすがにトーンダウンしているようだ。

           *

 ことし、二〇一〇年三月十四日に福島県沖を震源とするM六・七の地震があって、楢葉町で震度五弱を観測した。楢葉町の東電第二原発を写す固定カメラが左右に大きくしかもはげしく揺れつづける映像がTVニュースで流された。あまりにショッキングだったせいか、NHKは一度で放映を中止した。
 また、原発のある浜通りの中北部には、宮城県南部から続く七〇kmに及ぶ双葉断層と称する長大な活断層が海岸線とほぼ平行して存在する。グーグルの航空写真などですぐ識別できる。ところが、東電は、福島県沖の海底活断層とともに、この断層をより短く小さなものと認定しているのだ。そもそも、地震帯のうえに乗っかっている日本で原発を稼動させること自体が問題だ。

           *

 原発は環境にやさしい発電方式だという考えがあるが、はたしてそうだろうか、疑問である。炉の冷却時に発生する高温で大量の熱水を海中に、蒸気を空気中に捨てている点では、火力発電と大差はない。さらには膨大な高レベル放射性廃棄物を生産し、蓄積して、半永久的に《保管管理》しなければならない負の遺産を子孫に託そうというのである。
 さまざまな、しかも、いずれも困難な問題を原発は抱えている。われわれに大型炉の新設や、プルサーマルをすすめる資格があるのかと問いたい。
 第二次大戦で戦争という麻薬の中毒患者になったアメリカにいまだ《戦後》が存在しないように、原発というドラッグに冒された立地地域では、二重の意味で《原発以後》なしという状況が形成されつつある。ひとつめの意味は、つぎつぎと原発を増設しつづけなければ地域経済を維持できない泥沼にはまり込んでいるということ、もうひとつの意味は、原発破綻後には地域そのものが存在し得ない状況が出来するだろうということ、である。


※よみがな註
田子倉(たごくら)
柳津西山(やないづにしやま)
布引(ぬのびき)
鶸(ひわ)
刈羽(かりわ)
天城南海子(あまぎなみこ)
出来(しゅったい)





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写真/齋藤さだむ
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by okabar | 2012-02-17 00:33 | とうほく

福島の詩人たち①の2 若松丈太郎さん「神隠しされた街」

先週に続いて若松丈太郎さんの詩の紹介です。

以下ははじめ詩集『いくつもの川があって』(花神社、2000年)に発表され、昨年5月に緊急出版された詩集『福島原発難民』(コールサック社、2011年)に再掲された作品です。
連作詩篇「かなしみの土地」から、その6としての「神隠しされた街」。




6 神隠しされた街   若松丈太郎


四万五千の人びとが二時間のあいだに消えた
サッカーゲームが終わって競技場から立ち去ったのではない
人びとの暮らしがひとつの都市からそっくり消えたのだ
ラジオで避難警報があって
「三日分の食料を準備してください」
多くの人は三日たてば帰れると思って
ちいさな手提げ袋をもって
なかには仔猫だけを抱いた老婆も
入院加療中の病人も
千百台のバスに乗って
四万五千の人びとが二時間のあいだに消えた
鬼ごっこする子どもたちの歓声が
隣人との垣根ごしのあいさつが
郵便配達夫の自転車のベル音が
ボルシチを煮るにおいが
家々の窓の夜のあかりが
人びとの暮らしが
地図のうえからプリピャチ市が消えた
チェルノブイリ事故発生四十時間後のことである
千百台のバスに乗って
プリピャチ市民が二時間のあいだにちりぢりに
近隣三村あわせて四万九千人が消えた
四万九千人といえば
私の住む原町市の人口にひとしい
さらに
原子力発電所中心半径三〇㎞ゾーンは危険地帯とされ
十一日目の五月六日から三日のあいだに九万二千人が
あわせて約十五万人
人びとは一〇〇㎞や一五〇㎞先の農村にちりぢりに消えた
半径三〇㎞ゾーンといえば
東京電力福島原子力発電所を中心に据えると
双葉町 大熊町
富岡町 楢葉町
浪江町 広野町
川内村 都路村 葛尾村
小高町 いわき市北部
そして私の住む原町市がふくまれる
こちらもあわせて約十五万人
私たちが消えるべき先はどこか
私たちはどこに姿を消せばいいのか
事故六年のちに避難命令が出た村さえもある
事故八年のちの旧プリピャチ市に
私たちは入った
亀裂がはいったペーヴメントの
亀裂をひろげて雑草がたけだけしい
ツバメが飛んでいる
ハトが胸をふくらませている
チョウが草花に羽をやすめている
ハエがおちつきなく動いている
蚊柱が回転している
街路樹の葉が風に身をゆだねている
それなのに
人声のしない都市
人の歩いていない都市
四万五千の人びとがかくれんぼしている都市
鬼の私は捜しまわる
幼稚園のホールに投げ捨てられた玩具
台所のこんろにかけられたシチュー鍋
オフィスの机上のひろげたままの書類
ついさっきまで人がいた気配はどこにもあるのに
日がもう暮れる
鬼の私はとほうに暮れる
友だちがみんな神隠しにあってしまって
私は広場にひとり立ちつくす
デパートもホテルも
文化会館も学校も
集合住宅も
崩れはじめている
すべてはほろびへと向かう
人びとのいのちと
人びとがつくった都市と
ほろびをきそいあう
ストロンチウム九〇 半減期   二七.七年
セシウム一三七   半減期      三〇年
プルトニウム二三九 半減期 二四四〇〇年
セシウムの放射線量が八分の一に減るまでに九十年
致死量八倍のセシウムは九十年後も生きものを殺しつづける
人は百年後のことに自分の手を下せないということであれば
人がプルトニウムを扱うのは不遜というべきか
捨てられた幼稚園の広場を歩く
雑草に踏み入れる
雑草に付着していた核種が舞いあがったにちがいない
肺は核種のまじった空気をとりこんだにちがいない
神隠しの街は地上にいっそうふえるにちがいない
私たちの神隠しはきょうかもしれない
うしろで子どもの声がした気がする
ふりむいてもだれもいない
なにかが背筋をぞくっと襲う
広場にひとり立ちつくす






※よみがな註

双葉町(ふたばまち)
大熊町(おおくままち)
富岡町(とみおかまち)
楢葉町(ならはまち)
浪江町(なみえまち)
広野町(ひろのまち)
川内村(かわうちむら)
都路村(みやこじむら)
葛尾村(かつらおむら)
小高町(おだかまち)
いわき市北部














                    
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by okabar | 2012-02-05 13:06 | とうほく

福島の詩人たち① 若松丈太郎さん 【みなみ風吹く日】

去る2012年1月22日(日)、東京で開かれた小さな勉強会、第七回白龍会「回生の詩学」において、藤井貞和さんはたくさんの資料群を以て福島の詩人たちを紹介されました。
コピー機の前に佇む藤井さんを想います。

そこで紹介された多くの詩は、これまでわたくしの全く知らなかった詩の営為であり、詩人たちの苦闘点でした。関西からの参加者として、ここに資料群からの引用などをしながら福島の詩人たちを紹介したいと思います。

まずは若松丈太郎さんの詩です。
おそらく数回にわたる紹介になります。



【みなみ風吹く日】 若松丈太郎


岸づたいに吹く
南からの風がここちよい
沖あいに波を待つサーファーたちの頭が見えかくれしている
福島県原町市北泉海岸
福島第一原子力発電所から北へ二十五キロ
チェルノブイリ事故直後に住民十三万五千人が緊急避難したエリアの内側

たとえば
一九七八年六月
福島第一原子力発電所から北へ八キロ
福島県双葉郡浪江町南棚塩
枡倉隆さん宅の庭に咲くムラサキツユクサの
花びらにピンクの斑点があらわれた
けれど
原発操業との有意性は認められないとされた

たとえば
一九八〇年一月報告
福島第一原子力発電所第一号炉南放水口から八百メートル
海岸土砂 ホッキ貝 オカメブンブクからコバルト六〇を検出

たとえば
一九八〇年六月採取
福島第一原子力発電所から北へ八キロ
福島県双葉郡浪江町幾世橋
小学校校庭の空気中からコバルト六〇を検出

たとえば
一九八八年九月
福島第一原子力発電所から北へ二十五キロ
福島県原町市栄町
わたしの頭髪体毛がいっきに抜け落ちた
いちどの洗髪でごはん茶碗ひとつ分もの頭髪が抜け落ちた
むろん
原発操業との有意性が認められることはないだろう
ないだろうがしかし

南からの風がここちよい
波間にただようサーファーたちのはるか沖
二艘のフェリーが左右からゆっくり近づき遠ざかる
気の遠くなる時間が視える
世界の音は絶え
すべて世はこともなし
あるいは
来るべきものをわれわれは視ているか



一九七八年十一月二日
チェルノブイリ事故八年まえ
福島第一原子力発電所第三号炉
圧力容器の水圧試験中に制御棒五本脱落
日本最初の臨界状態が七時間三十分もつづく
東京電力は二十九年を経た二〇〇七年三月に事故の隠蔽をようやく認める

あるいは
一九八四年十月二十一日
福島第一原子力発電所二号炉
原子炉の圧力負荷試験中に臨界状態のため緊急停止
東京電力は二十三年を経た二〇〇七年三月に事故の隠蔽をようやく認める

制御棒脱落事故はほかにも
一九七九年二月十二日 福島第一原子力発電所五号炉
一九八〇年九月十日 福島第一原子力発電所二号炉
一九九三年六月十五日 福島第二原子力発電所三号炉
一九九八年二月二十二日 福島第一原子力発電所四号炉
などなど二〇〇七年二月まで隠蔽ののち
福島第一原子力発電所南南西へはるか二百キロ余
東京都千代田区大手町
経団連ビル内の電気事業連合会ではじめてあかす

二〇〇七年十一月
福島第一原子力発電所から北へ二十五キロ
福島県南相馬市北泉海岸
サーファーの姿もフェリーの影もない
世界の音は絶え
南からの風が肌にまとう
われわれが視ているものはなにか

ー(詩集『北緯37度25分の風とカナリア』より)ー


のち(詩集『福島原発難民』に再掲)



「1」は1992年に、
「2」は2008年に発表された詩で、
詩集『北緯37度25分の風とカナリア』は
2010年に出たものです。
2011年3月以降に書かれたものではない、
という点に注意が必要です。



※よみがな註

原町市(はらまちし)→現南相馬市(2006年以降)
北泉海岸→きたいずみかいがん
双葉郡→ふたばぐん
浪江町→なみえまち
南棚塩→みなみたなしお
幾世橋→きよばし
枡倉隆さん→ますくらたかしさん
栄町→さかえまち
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by okabar | 2012-01-27 19:47 | とうほく