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恋愛は部分対象の所有に還元されない

カライモブックスに、この本、売ってます。
おすすめです。

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すべてが不可能だと思われたところに何かが創造される。欲望とはそういうものです。若い男と若い女の恋愛を考えてみても、それは部分対象を所有することではないことは明らかでしょう。ある領土を獲得するということはリビドーの作用に還元することはできません。それはまず何よりも、ある牢固たる世界、恋愛でいえば二つの牢固たる世界に、その直前まで不可能と思われたことが可能なこととして出現することなのです。そのとき、それぞれが家族や自我や自分の殻に閉じ込もっていた二人が、何か別のものの出現、別の可能性の出現を見るのです。この可能性はカップルになったり結婚したりすることによって再び閉じられ、回収されてしまうかもしれない。いずれにしろ、恋愛というのはそれまで送っていた生活とは別の可能性を垣間見させるものです。そして、恋愛にともなって性や愛撫や衝突や嫉妬等々の問題が生じるのです。しかし、欲望というのは、まず何よりもこうした別の可能性の世界の発動であり、だからこそわれわれすべての問題なのです。


by フェリックス・ガタリ


『政治から記号まで』(2000年、インパクト出版会、86~87頁)より引用
(「政治と精神分析をめぐって」、粉川哲夫氏によるフェリックス・ガタリ氏へのインタヴュー、
杉村昌昭訳)
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by okabar | 2012-03-29 14:00 | よくぼう

逃走論① 矢部史郎『3・12の思想』(以文社、2012年3月12日)

この一年は、
逃げることについて積極的に書こうと思う。
留まることがあまりにも書かれ、語られ過ぎている。
しかも格好よく書かれ語られ過ぎている。
しかし格好悪くても逃げることについてわたしは書こうと思う。
無責任な逃走ではなく(それもいいが)、責任ある逃走のことを。

昨夜、矢部史郎さんがドミューンで坂口恭平さんと磯部涼さんとしゃべっていた。
3月12日以降、聴くべき声として、矢部さんのメガネは、ずれていない。
新著紹介も兼ねて、彼のブログからその「はじめに」を引用しよう。

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はじめに
 二〇一一年三月一二日、私は娘を連れて、東京をあとにしました。  前日の三月一一日、東日本大震災——津波の恐るべき被害が徐々に明らかになっていくなか、夕方のNHKのニュースで「福島第一原発が電源を失い冷却機能を喪失した」と報道されます。この報道に接して、私は、これはまずいことになるなあと思いました。おそらく原子炉容器は破壊されるだろう、と。そこでまず近所の薬局に行きました。安定ヨウ素剤が必要だと考えたのです。しかしまったく不勉強だったんですが、薬局では安定ヨウ素剤というものは売っていないんですね。しかたがないので、うがい薬のイソジンで代用することにしました。それから私は一晩考えて、翌朝、愛知県の実家に娘を避難させることにしました。  私は放射性物質の放出を予想し、十二日の午前の段階で東京からの退避を決めました。ただ正直に言うと、私はもう少し軽い事故になるだろうと思っていたのです。二〇〇七年に中越沖地震が起きたとき、東京電力・柏崎刈羽原子力発電所は火災を起こしました。あのときのような状態になるのではないかと予想したのです。福島第一原発は一日か数日か一時的に放射性物質を放出し、東京にも多少の放射性ヨウ素が到達するだろう、と。もちろん、多少とはいえ放射性ヨウ素を子供に浴びさせてしまうわけにはいかないので、娘だけ一時的に避難させることにしたのです。朝、電車はダイヤが乱れて遅れていましたが、なんとか昼前に東京駅にたどりつきました。東京から名古屋までは新幹線が順調に動いていました。昼過ぎには名古屋駅に到着して、実家の母親に娘を預けて、そうして私は東京に戻るつもりだったのです。ところが、私が東京に戻ろうとすると娘がむずがるわけです。心細かったんでしょうね。前日の地震のショックもあったので、一人で残されるのは嫌だったんでしょう。そういうわけでちょっと時間をかけて娘に事情を話して、諭しているときに、テレビ画面のなかで原発が爆発したんです。
 十二日の午後です。もう、声も出ないほど驚きました。建屋が爆発したんです。建屋というのは、国や電力会社が言ってきた「五重の壁」の最後の壁です。どんな深刻な事故が起きても最後は厚いコンクリートの壁で閉じ込めるんだと言ってきた、その最後の壁が、木っ端みじんに吹き飛んでしまった。こうなると、放出なんていうレベルではない。終わったな、と思いました。
 この一連の出来事を人々は「三・一一」という日付で呼んでいます。
そうなんです。いろんな出来事が、ほんの一日のあいだに、怒涛のように押し寄せてきた日です。あの日自分がどこにいて、何時にどこに行って、何を考え、誰と何を話し合ったかということを、いまでも詳細におぼえています。そのときに受けた衝撃や、その日の判断が、自分の人生にとって非常に重要な転機になった。そういう決定的な日です。
 しかし、どうなんでしょうか。ここで、巨大地震から放射能拡散まですべてをまとめて「三・一一」と呼んでしまって、それでよいのでしょうか。ここに私はなにか乱暴なものを感じてもいます。一口に「三・一一」というだけではすまないのではないか。「三・一一」と言ってしまったときに、何か大事なものをとりこぼしてしまうのではないか。もう少していねいに、じっくりと考えようじゃないか、と。
 放射能を拡散させた東京電力は、なにからなにまで津波のせいにするかもしれません。しかしそれは火事場泥棒というものであって、本当は、問題となる事柄をもっと厳密に、慎重に、きりわけていかなくてはならないのです。私たちを悩ませている諸問題を、どこからどこまでを、問題として把握していくのか。問題をどのようなものとして捉えていくのか。そうした議論のベースとなる見取り図を、正確に捉えておきたい。
 そう考えるなかで、あるとき「三・一二」という日付が頭に浮かんだのです。私たちにとって本当に決定的であったのは、三月一二日なのではないか、と。
今回私が話すのは、「三・一一」ではない、「三・一二」の話をしようと思います。


ブログ「原子力都市と海賊」より引用。
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by okabar | 2012-03-13 14:14 | よくぼう

福島の詩人たち③ 松棠ららさん「時の送り」

こちらもクレマチスの会、2011年8月例会作品です。
新聞『福島民友』の編集日記(9月26日号)にその一部が引用され、
藤井貞和さんの文章にその全文が引用されているので、そこから。
松棠(しょうどう)ららさんと読みます。印象的なお名前です。



時の送り         松棠らら

十秒 一分、線量計を借り放射性物質量を計る。
雑草が茂る庭の真中は、無風の高さ1mで、
一、三μシーベルト/h。原発爆発から五ヶ月と二十日。
爆発時に満開の梅の実は落下したまま果て、来年の花に不安が。
二ヶ月目には耐え切れず窓を薄めに開け、黴と虫の繁殖を防ぎ、
乾燥に二時間の洗濯機にはもう頼らず八月からベランダに干す。

 一秒はセシウムを使って定義されている。

京都五山、盆の送り火は誕生日の前夜、毎年テレビで送る。
今年は陸前高田市の松の薪を大震災の犠牲者の冥福を祈り
燃やされる予定がセシウムが検出され抗議殺到で中止となる。
福島市民は毎日五ヶ月以上吸い続けています。
薪に書かれた被災者らの祈りを書き写した・・
鎮魂の念、意味と形は、もはや観光行事になってしまったのでしょうか。
多数の行方不明者と身元不明者を残し燃えている送り火。
京都は遠くなりました。

 世界標準時の基準は
 世界各地の三百個のセシウム原子時計を
 同期させ維持されている。

他都県に送る電力が、人災によって撒き散らす塵芥に、
汚染された食に関わる物、努力と工夫を重ねた各々の場所。

汚染を免れた物も、ごく微量な物も、
ひとからげにされ潰される。
風評という時が送る恐ろしい風の言葉。




引用以上。
京都は、福島から遠くなった。
福島から遠くなったその京都に、オカバーはある。
原発を推進してきた政党の後押しを受け市長が再選、
京都は、福島から遠くなった。
福島から遠くなったその京都に、オカバーはある。
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by okabar | 2012-03-10 14:09 | とうほく