「ノー・フューチャー」。パンク文化はこう宣言した。それと同時に、ボローニャやローマの創造的な蜂起行動はこう宣言した。「未来なんてありゃしない」。ぼくたちは依然としてそこにいる。戦争によって、意識や生存に適した生への希望が破壊されているあいだは、ぼくたちは依然としてそこにいる。依然として、77年運動の敗北がぼくたちを置き去りした、その地点にいるのだ。
「ノー・フューチャー」は、当時と同じように、もっとも先鋭的で、もっとも真実を語っている状況分析のままでありつづけている。 そして、絶望がもっとも人間的な情感のままでありつづけている。 by ビフォ この地震によって明らかになったことがあります。 政府の発表やテレビによる情報なんかよりも、インターネットを通じた自律的ネットワークのほうがはるかに頼りになる、ということです。 誇りに思っていいことは、悪意ある情報よりも、真摯な情報による連帯の意識が圧倒的に優位であることです。 ●ビフォ『ノー・フューチャー』(2010年、洛北出版) オカバーが紹介された『Meets』3月号にはまた、洛北出版から出ている『ノー・フューチャー』という本も紹介されています。 オカバーとこの本の出会いが偶然でないのは、この記事を見ればわかります。ふたつの記事で共通して、「素人の乱」が登場しているのです。つまり、この本とオカバーが目指すところは同じこと、わたしたち自身による、自律的ネットワークを創っていくことなのです。 ぼくたちは若者プロレタリア階級である この本で著者のビフォは、「若者プロレタリア階級」という言葉を使っています。若者プロレタリア階級とは、もはや労働に生きることの意味を見い出さず、労働をできる限り避け、自由な時間に豊かさを見いだすようになった若者たちのことです。そしてそんな若者たちの出現こそが、77年からはじまる世界の新たな趨勢だというのです。 自立とは、少数派になること ところでぼくたち若者プロレタリア階級は、日々、「自立しろ」と言われています。しかし「自立しろ」とは何を意味しているのでしょうか。それは結局のところ、「とにかく働け」という意味でしかありません。要するに、あまりにも貧しい命令なのです。 ジルとフェリックスによる重要な哲学書、『千のプラトー』の文庫版上巻221ページには、少数派になることこそが自立(オートノミー)である、と書かれています。ここで少数派とは、数の問題ではなくて、貧しい命令に従わない者たちのことです。「フリーター」や「ニート」など、若者プロレタリア階級を標本化するために様々なレッテルが使われますが、重要なことは、ぼくたちはもうすでに自立的な生を生きはじめている、ということなのです。 日本という先端の場所 「世界じゅうのひきこもりたちよ団結せよ」とは、この本の、日本の読者に贈られた文のタイトルです。彼はここで、日本こそが(良い意味でも悪い意味でも)、未来なのだと言っています。それは単に科学技術の発達を言っているのではなく、高度に発達したコミュニケーション技術のもとで起こっている、労働の不安定化と精神的な葛藤という現象が、まさに現代日本において未来を表現しているからです。 そして、このような状況下で生き、働くぼくたちは、日々、愛を奪われています。 ビフォは書いています。 「ヴァーチュアル労働者たちにとって、自分が自由に用いることのできる注意力の時間がいっそう少なくなっています。というのは、彼らの注意力の時間の全空間を占拠してしまうほどまでに、彼らは大量に増えていく精神面の仕事に巻き込まれているからです。彼らの生、愛、愛情、情動へと捧げる時間がまったくないからなのです。ヴァーチュアル労働者たちは、セックスへの前置きとなる時間がないためにバイアグラを摂取するのです。」(261ページ) 能動的に離脱すること そして、このような状況から離脱する者たちこそ、「ひきこもり」と呼ばれる人たちなのだ、とビフォは言うのです。したがって、ここに驚くべき発想の転換が示されるわけです。「はたらけ」という貧しい命令に従わないこと、そんな世界から離脱すること、それこそが自立であるなら、ひきこもることこそ、自立へと向かうひとつの運動だというのです。 ビフォは言います。「ひきこもりをめぐる日本の経験のなかには、何よりもまず、孤独や苦悩のようなかたちで表現される自律性への欲求が働いていると思います。ひきこもりとは、離脱という世界規模で起こる運動のひとつの前衛です」。 ぼくたちは誇りを持って生きてよい この国で生きるぼくたちは、誇りを持っていい。 それは、この日本という国が、「未来なき世界」(セックス・ピストルズ)という意味での先端であるにもかかわらず、だからこそ、そのもとで生きる若者たちの自律的な繋がりが生まれているからです。この土地が、放射能で汚れ、政治は腐敗し、テレビでは天皇が笑い、タレント知事が唾を飛ばし、民族差別が行われていても、それでもぼくたちが離脱という形で自立していく限り、この誇りは失われません。 生きること、それはなによりもまず、貧しい命令に従うことなく、 自分自身の欲望に耳を傾け、新たな生を創造していくことです。 だからこそぼくたちは芸術を必要とするし、友人を愛するのです。 これからも、オカバーをよろしく。
by okabar
| 2011-03-13 23:42
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