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湾岸戦争詩論争ざっくりまとめ

ども、最近は詩を書いたり映画を撮ったりしていないですが、それでも依然として詩人であり映画監督であり凡人であり一般ピープルである元店員Tれす。

たまにふと藤井貞和さんの湾岸戦争詩論争を思い出すのです。一度まとめようと思ったことがあったのですが、藤井さんの論理がぐねぐねとしていたし、瀬尾さんの論理もわかりづらかったので諦めました。何年かして細部は忘れて頭の中で単純化して論争がわかりやすくなってきたので、正確さは無視して頭の中の思いつきで整理することにします(瀬尾さんからは大いに不満が出ると思いますが)。論争についてサクッと知りたい方はこちらを参照してください。

湾岸戦争当時、『鳩よ!』という詩の雑誌にいろいろな詩人たちが湾岸戦争に反対する詩を書いたり翻訳したりしました。藤井さんもまた『飾粽(かざりちまき)』という詩誌で湾岸戦争を憂う情けない詩人の独白のようなスタイルの詩を書きました。それに谷川俊太郎さんとか瀬尾育生さんとかいろいろな詩人が苦言を呈しました。いろいろな人が批判しましたが大略して、「詩なんて無力なのはわかりきったことだ。戦争反対のスローガンに乗るなんてダサいし不快だ。真情の吐露は天皇制と繋がる(瀬尾さんによる批判)」ということでまとめてしまって良いと思います。それに対して藤井さんもいろいろ言いましたが、①詩は非力だが無力ではない。②戦争は詩を破壊するから詩人は反対すべき③詩人とは詩の神学的な力にかける人たちのことではなかったか。の3点にまとめて良いと思います。

このうち①についてはほぼ全ての詩人たちが形而下学的な話として理解したので噛み合いませんでしたが、藤井さんからは湾岸の神に訴えるというような、形而上学的な話として出されたため、誰もついていきようがありませんでした。核兵器の使用を止めるというような事態は形而下の出来事なのでここも形而上と形而下が混ぜこぜではあるのですが、文学が神様に訴えてきたという伝統にのっとった話としてはそれほど奇異でもないと思います(藤井さんはまた別の場所で、神との繋がりが途絶えたところから文学は発生した、というようなことを言っています)。②の戦争に反対すべきというのも特に議論するほどの主張ではありませんが、当時の時代情勢の中で反戦がダサく、また多数派となる思考停止だとの印象を持った詩人たちも多かったのだろうと思います。反戦詩を書けと言われているように誤解されたきらいもあります。しかし戦争が芸術を破壊するのは自明ではないでしょうか。③議論の途中から藤井さんが神学的な〜という言い方を始めたり予言の話をし始めたので、藤井は本気で言ってるのかそれともポーズなのか、ととられました。また、瀬尾さんによる天皇制の話も、神に訴えるというようなことや、憲法のこととも関わって、日本的な文脈では宗教臭がして危険だととられたのかと思います。しかし藤井貞和が最後まで訴えていたのは、藤井貞和という個人の情けない存在の話ではなく、詩の中で同人誌に一万円を払って泣いているしじんはあなたじしんでもあるのではないのか、という話しでありました。詩で私と書いたからそれが藤井になるというそういう話かと。しじんとはそもそも、かける人々ではなかったのか、と。

今となっては瀬尾さんもむしろ論争という形を残してくれた点で良い仕事をしたように思います。それよりも谷川俊太郎さんや松浦寿輝さんら著名な人も含めて様々な人が藤井さんを皮肉ったわりにしれっと論争には入らなかった日本現代詩の雰囲気が私にはイマイチでありました。織田裕二と共にズッチーナと言いたい気持ちです。昨年の現代詩手帖で瀬尾さんらが湾岸戦争詩論争を回顧しているようです。どんなことが書かれているのか気になるところであります。
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by okabar | 2021-08-12 10:45
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