カテゴリ:よくぼう( 43 )

逃走論③ 海外移住情報

こがあなサイトがあります、みなさんご参考あれ。

海外移住情報
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by okabar | 2012-04-17 12:44 | よくぼう

逃走論② 軍人と外国人の女では、外国人の女を信用せよ。

映画『サウダーヂ』において、
一番まともな人間は誰だろうか。
精司(せいじ)である。
なぜか。
働き者だから、とか男前だから、
とかいう理由ではない。
彼がまともである理由は、
彼が外国人の女(ミャオ)に本気で惚れ込み、
土を掘りながら海を臨んでいるからだ。


矢部史郎『原子力都市』は、
そういう内容の本である。
本書から、広島県の呉について書かれた部分を引用する。


「映画〔『男たちの大和』〕と博物館〔『大和ミュージアム』〕を見てわかったこと。おそらく「大和」という戦艦は、存在していなかったのだろうと思う。それは日本の島国根性が生み出した都市伝説の一つなのだ。

いまや海の底に眠る日本海軍の巨大秘密兵器という設定が、そもそも怪しいし、都合が良すぎるのである。沖縄を奪還するために、片道分の燃料だけを積んで玉砕に向かったなだという話を、どうして真に受けることができるだろうか。莫大な費用をかけて建造した巨大戦艦を、そんなに気前よく手放すだろうか。当時の日本海軍がそんな捨て身の作戦を敢行することができたというのなら、それはそれで男子的にはとてもロマンチックで素敵な話だろうが、残念ながら、そんな軍隊はありえない。

男子のロマンをぶちこわすようで悪いが、軍隊の本分は、嘘をつくことである。負け戦を、勝った勝ったと大騒ぎしてごまかすのが軍隊である。持っている武器を持っていないと言い、持っていない武器を持っていると言うのが軍隊である。戦場の兵士が家族に宛てた手紙というのも、ほとんどはつくり物だ。

軍隊という組織は一事が万事そういうわけだから、現場の兵士の証言ほどあてにならないものはない。軍隊が配備する嘘と秘密によってもっとも欺かれているのは、兵士だからである。

だから海軍の生き残りがなにを書こうと、そんなものは信用に値しない。「大和」という都市伝説の発端となった『戦艦大和の最期』という小説は、史学的な資料としてはまったく信用できるものではなく、偽書なりトンデモ本なりに分類されるものである。ここで読むべきは、海軍の生き残りの法螺を真に受けることではなくて、その「証言」の背景にどのような嘘が紛れ残存しているかを読み解くことである。同時に考察されるべきは、この真偽の定かでない都市伝説を、高度成長期の日本人がどのように受けとめ、現代の日本人がどのように受け止めているかということである。

エポックとして浮上する二つの年。第一は一九五一年、第二に一九九三年だ。


一九五一年、朝鮮戦争のさなかに、日本はサンフランシスコ講和条約に調印する。サンフランシスコ講和条約は、ソ連・中国・韓国など多くの国を除外した講和条約であり、片面講和と呼ばれる。これは、四六年に公布された新憲法の基軸である「国際主義」をくつがえす講和であった。戦後日本政府は、憲法に「国際主義」を掲げつつも、その最初から国際主義を裏切ってスタートするのである。この年、元海軍少尉吉田満は、小説『戦艦大和の最期』を発表する。五一年には警察予備隊が編成され、五二年には保安隊に、五四年には自衛隊と防衛庁が編成される。少年向けの雑誌や貸本には、旧日本軍の軍艦や戦闘機が紹介され、戦記のマンガや読み物が掲載される。一五年戦争の総括はたなざらしにしたまま、国際主義は放棄され、孤立した主観主義が強められていく。一国的で内向的なサブカルチャーがここから始まるのである。

そして一九九三年。文部省の教科書検定は、高校の歴史教科書での従軍慰安婦に関する記述を許可する。かつて少年時代にサブカルチャーの洗礼を受けたおやじどもが、この事態に反応していく。一国的で内向的な主観主義が、「自由主義史観研究会」なるものを結成し、歴史修正主義運動を開始する。その主張を要約すれば、「従軍慰安婦はなかった」という主張である。「従軍慰安婦はなかった」ということは、つまり、それを証言した女性たちは嘘をついている、という主張である。ここで、物置の奥にしまわれていた「戦艦大和伝説」が、もういちど蘇る。元海軍少尉吉田満の法螺話があたかも史実のように採り上げられる背景には、従軍慰安婦問題の否定、韓国人の老婆は嘘つきで信用できないという主張が含まれているのである。

ここで問われるのは、軍人を信じるのか、それとも外国人の女を信じるのか、だ。

主観性の領域で、自分自身の視軸をどのようにもち、自分自身の主観をどのように御していくのか、なのだ。私は、見ず知らずの外国人の女を信じようと思う。ただ饒舌で威張りくさった軍人の内弁慶野郎に相づちを打つくらいならば、海の向こうの見ず知らずの女に翻弄されるほうがよい。海を臨むということは、そういうことなのだ。」


矢部史郎『原子力都市』(2010年、以文社、36~41頁)より
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by okabar | 2012-04-08 11:43 | よくぼう

せめてじぶんのうた歌え(53分45秒時)

広島のともだちんこがくれたある歌手を追った番組を京都のともだちんこに見せた。
すると京都のともだちんこが「この映像も見てほしい」と以下の番組を教えてくれた。

ETV 「町に僕のロックは流れますか?」



あとついでにこれ。
カミスン!放送事故











そしてやっぱりこれ。

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by okabar | 2012-04-04 23:10 | よくぼう

恋愛は部分対象の所有に還元されない

カライモブックスに、この本、売ってます。
おすすめです。

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すべてが不可能だと思われたところに何かが創造される。欲望とはそういうものです。若い男と若い女の恋愛を考えてみても、それは部分対象を所有することではないことは明らかでしょう。ある領土を獲得するということはリビドーの作用に還元することはできません。それはまず何よりも、ある牢固たる世界、恋愛でいえば二つの牢固たる世界に、その直前まで不可能と思われたことが可能なこととして出現することなのです。そのとき、それぞれが家族や自我や自分の殻に閉じ込もっていた二人が、何か別のものの出現、別の可能性の出現を見るのです。この可能性はカップルになったり結婚したりすることによって再び閉じられ、回収されてしまうかもしれない。いずれにしろ、恋愛というのはそれまで送っていた生活とは別の可能性を垣間見させるものです。そして、恋愛にともなって性や愛撫や衝突や嫉妬等々の問題が生じるのです。しかし、欲望というのは、まず何よりもこうした別の可能性の世界の発動であり、だからこそわれわれすべての問題なのです。


by フェリックス・ガタリ


『政治から記号まで』(2000年、インパクト出版会、86~87頁)より引用
(「政治と精神分析をめぐって」、粉川哲夫氏によるフェリックス・ガタリ氏へのインタヴュー、
杉村昌昭訳)
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by okabar | 2012-03-29 14:00 | よくぼう

逃走論① 矢部史郎『3・12の思想』(以文社、2012年3月12日)

この一年は、
逃げることについて積極的に書こうと思う。
留まることがあまりにも書かれ、語られ過ぎている。
しかも格好よく書かれ語られ過ぎている。
しかし格好悪くても逃げることについてわたしは書こうと思う。
無責任な逃走ではなく(それもいいが)、責任ある逃走のことを。

昨夜、矢部史郎さんがドミューンで坂口恭平さんと磯部涼さんとしゃべっていた。
3月12日以降、聴くべき声として、矢部さんのメガネは、ずれていない。
新著紹介も兼ねて、彼のブログからその「はじめに」を引用しよう。

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はじめに
 二〇一一年三月一二日、私は娘を連れて、東京をあとにしました。  前日の三月一一日、東日本大震災——津波の恐るべき被害が徐々に明らかになっていくなか、夕方のNHKのニュースで「福島第一原発が電源を失い冷却機能を喪失した」と報道されます。この報道に接して、私は、これはまずいことになるなあと思いました。おそらく原子炉容器は破壊されるだろう、と。そこでまず近所の薬局に行きました。安定ヨウ素剤が必要だと考えたのです。しかしまったく不勉強だったんですが、薬局では安定ヨウ素剤というものは売っていないんですね。しかたがないので、うがい薬のイソジンで代用することにしました。それから私は一晩考えて、翌朝、愛知県の実家に娘を避難させることにしました。  私は放射性物質の放出を予想し、十二日の午前の段階で東京からの退避を決めました。ただ正直に言うと、私はもう少し軽い事故になるだろうと思っていたのです。二〇〇七年に中越沖地震が起きたとき、東京電力・柏崎刈羽原子力発電所は火災を起こしました。あのときのような状態になるのではないかと予想したのです。福島第一原発は一日か数日か一時的に放射性物質を放出し、東京にも多少の放射性ヨウ素が到達するだろう、と。もちろん、多少とはいえ放射性ヨウ素を子供に浴びさせてしまうわけにはいかないので、娘だけ一時的に避難させることにしたのです。朝、電車はダイヤが乱れて遅れていましたが、なんとか昼前に東京駅にたどりつきました。東京から名古屋までは新幹線が順調に動いていました。昼過ぎには名古屋駅に到着して、実家の母親に娘を預けて、そうして私は東京に戻るつもりだったのです。ところが、私が東京に戻ろうとすると娘がむずがるわけです。心細かったんでしょうね。前日の地震のショックもあったので、一人で残されるのは嫌だったんでしょう。そういうわけでちょっと時間をかけて娘に事情を話して、諭しているときに、テレビ画面のなかで原発が爆発したんです。
 十二日の午後です。もう、声も出ないほど驚きました。建屋が爆発したんです。建屋というのは、国や電力会社が言ってきた「五重の壁」の最後の壁です。どんな深刻な事故が起きても最後は厚いコンクリートの壁で閉じ込めるんだと言ってきた、その最後の壁が、木っ端みじんに吹き飛んでしまった。こうなると、放出なんていうレベルではない。終わったな、と思いました。
 この一連の出来事を人々は「三・一一」という日付で呼んでいます。
そうなんです。いろんな出来事が、ほんの一日のあいだに、怒涛のように押し寄せてきた日です。あの日自分がどこにいて、何時にどこに行って、何を考え、誰と何を話し合ったかということを、いまでも詳細におぼえています。そのときに受けた衝撃や、その日の判断が、自分の人生にとって非常に重要な転機になった。そういう決定的な日です。
 しかし、どうなんでしょうか。ここで、巨大地震から放射能拡散まですべてをまとめて「三・一一」と呼んでしまって、それでよいのでしょうか。ここに私はなにか乱暴なものを感じてもいます。一口に「三・一一」というだけではすまないのではないか。「三・一一」と言ってしまったときに、何か大事なものをとりこぼしてしまうのではないか。もう少していねいに、じっくりと考えようじゃないか、と。
 放射能を拡散させた東京電力は、なにからなにまで津波のせいにするかもしれません。しかしそれは火事場泥棒というものであって、本当は、問題となる事柄をもっと厳密に、慎重に、きりわけていかなくてはならないのです。私たちを悩ませている諸問題を、どこからどこまでを、問題として把握していくのか。問題をどのようなものとして捉えていくのか。そうした議論のベースとなる見取り図を、正確に捉えておきたい。
 そう考えるなかで、あるとき「三・一二」という日付が頭に浮かんだのです。私たちにとって本当に決定的であったのは、三月一二日なのではないか、と。
今回私が話すのは、「三・一一」ではない、「三・一二」の話をしようと思います。


ブログ「原子力都市と海賊」より引用。
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by okabar | 2012-03-13 14:14 | よくぼう

KIYEV NO SORA

こだまさんのライブに行ったら、トランペットをあまり吹かずに、しゃべってばっかり。

「お金を払って観に来ているのにがっかり。」

という意見もあるようですが、ぼくは好きですよ。
そんなおしゃべりなこだま和文さんの存在感。

時々吹くのがいいんです。
ほとんど自分でうたわないのに盛り上げる歌手というのが、いるでしょう。

みんなの頭のなかでうたっているので、十分なのです。
脳の中に響くトランペット。

OKABARの名刺を渡したので、いつか来ないかなと思う。



毎週思います。

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こだまさん本。
本人の直筆サイン入りで、OKABARにて販売中です。
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by okabar | 2012-02-08 22:16 | よくぼう

詩誌『紫陽』24終刊号評 その4 小林坩堝「風狂」

小林坩堝「風狂 ―――地図があるならば破り棄てろ即座に」

小林坩堝氏の詩は、これまでいくつか読んで来たが、どれも精神の凝縮された作品で、わたしには難しかった。しかし『紫陽』に投稿される作品はどこか軽快でもあり、この作品に至っては、散文の歩みからはじまって最後には強く風の吹き抜けてゆく、清々しい後ろ姿さえ見せている。媒体によって到来する詩の異なるゆえであるか、あるいは亀之助の背中がそうさせるのか。

文中には尾形亀之助の詩集『障子のある家』からの引用があり、「風狂」は亀之助に捧げられたそれ自体が吹きすさぶ運動体だ。本文の紹介の前に、尾形亀之助について少し。去る10月に仙台を訪れる機会があったのだが、訪仙の一番は尾形亀之助の詩集(現代詩文庫)との出会いであった。マゼランにて購入することができたのである。ここでこの詩集を手にしたのは、もちろん小林坩堝氏の「風狂」を読んでいたからだ。それまでわたしは亀之助を知らなかった。

現代詩文庫に所収されているまずは『色ガラスの街』から読み進む。
わたしはたとえば八木重吉の短かな詩が好きだ。


おほぞらを 
びんびんと ひびいてゆかう

             (八木重吉「ひびいてゆかう」)


路をみれば
こころ おどる

             (八木重吉「路」)


尾形亀之助の詩集にも、短詩は少なくない。



私が煙草をすつてゐると
少女は けむいと云ひます

            (尾形亀之助「煙草」)


女さえ見れば色欲を起す男は
或る日とうとう女に飛びついた
――― が

搭のスレートを二三枚わつただけですみました

            (尾形亀之助「風のない日です」)



重吉と亀之助の詩、どちらも素朴で、短いのであるが、なんだろうか、なにかちがう。
なにがちがうのだろうか。
重吉の詩はどこか哀しげなのだ。上に引用した詩などはそうでもないが、
詩集全体からはこう言ってよければ「濡れた抒情」が伝わってくる。
しかし亀之助の詩は笑っているのだ。
それは詩を、己自身を、どこかでにっと笑つていはしまいか。


夕暮れの街に
幼い女の子が二人話をしてゐます

「私 オチンチン嫌いよ」と醜い方の女の子が云つてゐます
「………………」もう一人の女の子が何んと云つたか
私はそこを通り過ぎてしまひました

きつと――
この醜い方の女の子はちよつと前まで遊んでゐた男の子にあまり好かれなかつたのだ
そして
「私オチンチン嫌いよ」と云はれてゐるもう一人の女の子は男の子に好かれたために当然オチンチン好きなことになつてしまつてその返事のしように困つていたにちがひない

寒むい風に吹かれて
明るい糸屋の店先きに立つて話してゐる幼い女の子達よ
返事に困つてゐる女の子に返事を強ひないで呉れ給へ

          (尾形亀之助「夕暮に立つ二人の幼い女の子の話を聞く」)



風は
いつぺんに十人の女に恋することが出来る

男はとても風にはかなはない

夕方――
やはらかいショールに埋づめた彼女の頬を風がなでてゐた
そして 生垣の路を彼女はつつましく歩いていつた

そして 又
路を曲ると風が何か彼女にささやいた
ああ 俺はそこに彼女のにつこり微笑したのを見たのだ

風は
彼女の化粧するまを白粉をこぼしたり
耳に垂れたほつれ毛をくはへたりする

風は
彼女の手袋の織目から美しい手をのぞきこんだりする

そして 風は
私の書斎の窓をたたいて笑つたりするのです

                         (尾形亀之助「風」)


「乾いた抒情」とでも言おうか、その湿気を含まぬ「なにか」が、詩に広がりを与えているのではないか。が、しかし。好みではあるのだが。
読みすすめながら、「たいしたことないんじゃないか」という疑念が現れる。
つまり、なぜ亀之助の詩が現代詩文庫という形をとってまで今に残っているのかがよくわからなかった。
だがその疑念は、『雨になる朝』を通り抜けて『障子のある家』へと至ったとき、晴れる。
そして驚かされる。
その散文詩群のなかから、三十路を歩みはじめたきみのために、
まずは「詩人の骨」を引用しよう。


 幾度考へこんでみても、自分が三十一になるといふことは困ったことにはこれといつて私にとつては意味がなさそうなことだ。他の人から私が三十一だと思つてゐてもらうほかはないのだ。親父の手紙に「お前はもう三十一になるのだ」とあつたが、私が三十一になるといふことは自分以外の人達が私をしかるときなどに使ふことなのだらう。又、今年と去年との間が丁度一ヶ年あつたなどいふことも、私にはどうでもよいことがらなのだから少しも不思議とは思はない。几帳面な隣家のおばさんが毎日一枚づつ丁寧にカレンダーをへいで、間違へずに残らずむしり取つた日を祝つてその日を大晦日と称び、新らしく柱にかけかへられたカレンダーは落丁に十分の注意をもつて綴られたゝめ、又何年の一月一日とめでたくも始まつてゐるのだと覚えこんでゐたつていゝのだ。私は来年六つになるんだと言つても誰もほんとうにはしまいが、殊に隣家のおばさんはてんで考へてみやうともせずに暗算で私の三十一といふ年を数へ出してしまうだらう。
 だが、私が曾て地球上にゐたといふことは、幾万年かの後にその頃の学者などにうつかり発掘されないものでもないし、大変珍しがられて、骨の重さを測られたり料金を払らはなければ見られないことになつたりするかも知れないのだ。そして、彼等の中の或者はひよつとしたら如何にも感に堪へぬといふ様子で言ふだらう「これは大昔にゐた詩人の骨だ」と。


このふてぶてしさはなんだろうか。三十一など自分にとつてはどうでもいいという。最後には骨の話になって、しかもこれが詩なんだと、ずいと提出してくるこのふてぶてしさこそは、見習うべき詩人の背中なのだろうか。
続いて「後記 泉ちやんと猟坊へ」。

 
 元気ですか。元気でないなら私のまねをしてゐなくなつて欲しいやうな気がする。だが、お前達は元気でゐるのだらう。元気ならお前たちはひとりで大きくなるのだ。私のゐるゐないは、どんなに私の頬の両側にお前達の頬ぺたをくつつけてゐたつて同じことなのだ。お前達の一人々々があつて私があることにしかならないのだ。
 泉ちやんは女の大人になるだらうし、猟坊は男の大人になるのだ。それは、お前達にとつてかなり面白い試みにちがひない。それだけでよいのだ。私はお前達二人が姉弟などといふことを教えてゐるのではない。――先頭に、お祖父さんが歩いてゐる。と、それから一二年ほど後を、お祖母さんが歩いてゐる。それから二十幾年の後を父が、その後二三年のところを泉ちやんが、それから三年後を猟坊がといふ風に歩いてゐる。これは縦だ。お互の距離がずいぶん遠い。とても手などを握り合つては事実歩けはしないのだ。お前達と私とは話さへ通じないわけのものでなければならないのに、親が子の犠牲になるとか子が親のそれになるとかは何時から始まつたことなのか、これは明らかに錯誤だ。幾つかの無責任な仮説がかさなりあつて出来た悲劇だ。
 ――考へてもみるがよい。時間といふものを「日」一つの単位にして考へてみれば、次のやうなことも言ひ得やうではないか。それは、「日」といふものには少しも経過がない――と。例へば、二三日前まで咲いてゐなかつた庭の椿が今日咲いた――といふことは、「時間」が映画に於けるフヰルムの如くに「日」であるところのスクリンに映写されてゐるのだといふことなのだ。雨も風も、無数の春夏秋冬も、太陽も戦争も、飛行船も、ただわれわれの一人々々がそれぞれ眼の前に一枚のスクリンを持つてゐるが如くに「日」があるのだ。そして、時間が映されてゐるのだ。と。―――
 又、さきに泉ちやんは女の大人猟坊は男の大人になると私は言つた。が、泉ちやんが男の大人に、猟坊が女の大人にといふやうに自分でなりたければなれるやうになるかも知れない。そんなことがあるやうになれば私はどんなにうれしいかわからない。「親」といふものが、女の児を生んだのが男になつたり男が女になつてしまつたりすることはたしかに面白い。親子の関係がかうした風にだんだんなくなることはよいことだ。夫婦関係、恋愛、亦々同じ。そのいづれもが腐縁の飾称みたいなもの、相手がいやになつたら注射一本かなんかで相手と同姓になればそれまでのこと、お前達は自由に女にも男にもなれるのだ。


これが、1930年という時代に、大真面目に、刊行されていたのである。これは真面目に描いて未来である。最後に、未刊詩篇から「無形国へ」を。


 降りつゞいた雨があがると、晴れるよりは他にはしかたがないので晴れました。春らしい風が吹いて、明るい陽ざしが一日中縁側にあたつた。私は不飲不食に依る自殺の正しさ、餓死に就て考へこんでしまつてゐた。
 (最も小額の費用で生活して、それ以上に労役せぬこと――。このことは、正しくないと君の言ふ現在の社会は、君が余分に費ひやした労力がそのまゝ君達から彼等と呼ばれる者のためになることにもあてはまる筈だ。日給を二三円も取つてゐる独身者が、三度の飯がやつとだなどと思ひこまぬがいゝ。そのためには過飲過食を思想的にも避けることだ。そして、だんだんには一日二食以下ですませ得れば、この方法のため働く人のないための人不足などからの賃金高は一週二三日の労役で一週間の出費に十分にさへなるだらう。世の中の景気だつて、むだをする人が多いからの景気、さうでないからの不景気などは笑つてやるがいゝのだ。君がむだのある出費をするために景気がよい方がいゝなどと思ふことは、その足もとから彼等に利用されることだけでしかないではないか。働かなければ食へないなどとそんなことばかり言つてゐる石頭があつたら、その男の前で「それはこのことか」と餓死をしてしまつてみせることもよいではないか。又、絹糸が安くて百姓が困るといつても、なければないですむ絹糸などにかゝり合ふからなのだ。第三者の需要に左右されるやうなことから手を離すがいゝ、勿論、賃金の増加などで何時ものよやうにだまされて「円満解決」などのやうなことはせぬことだ。貯金などのある人は皆全部返してもらつて、あるうちは寝食ひときめこむことだ。金利などといふことにひつかゝらぬことだ。「××世界」や「××之友」などのやうに「三十円収入」に病気や不時のための貯金は全く不用だ。細かいことは書きゝれぬが、やがて諸君は国勢減退などといふことを耳にして、きつと何だか可笑しくつて苦笑するだらう。くどくどとなつたが、私の考へこんでゐたのは餓死に就てなのだ。餓死自殺を少しでも早くすることではなく出来得ることなのだ。



同じく1930年の作。これなどは亀之助の真骨頂ではないか。亀之助はダダカン氏と同じく良家の出だが、自ら身を堕したひとだ。ダダカン氏は、糸井貫二だった自分が、ある時からダダカンに「なっちゃった」と表現しておられたが、亀之助も同じく(というかそれに先んじて)、ダダカメに、「なっちゃった」のだろう。ここまで読んできて、だんだん若い小林坩堝氏が心配になってきた。ダダ坩になっちゃうの、なんてダ洒落を言いたいわけではない。「風狂」を読むと、坩堝氏もまた、亀之助と共に、地図を捨て、風をたよりに、「何らの自己の、地上の権利を持たぬ私は第一に全くの住所不定へ。それからその次へ。」と、吹かれ吹かれてゆくように見えるのだ。ひとりの若者の背中に、無事でいてくれ、とわたしは想い、はっと手を見る。
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by okabar | 2011-12-18 20:51 | よくぼう

詩誌『紫陽』24終刊号評 その3 貞和「俳言」

貞和「俳言」

わたしの最も(あるいは唯一といってもいいが)愛する現代詩人、藤井貞和氏が貞和の名で「俳言」という五つの行からなる五七五の作品群を書いている。

作品の転載はここでは控えておこう。どれも震災を、あるいは震災後を歌った俳言である。いまここで作品についてなにか意味あることは言えそうにない、が、このところ藤井貞和氏は五七五のリズムからなる作品群を相次いで世に問うているように思われるのだが、湾岸戦争詩論争の中で、口語自由詩たる現代詩と短歌定型との距離を問うたこの詩人の、どのようにして今現在は生成しているのだろうかと、そこがとても気になるところだ。これは批判ではない。言葉そのままに、どういうことなのだろうかと考えさせられる、ということ。
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by okabar | 2011-12-18 00:26 | よくぼう

詩誌『紫陽』24終刊号評 その2 駄々村の俳句

駄々村の俳句

ダダ貫氏の俳句の隣に共鳴するかのようにして掲載されているので、駄々村氏の俳句も紹介しておこう。


タンポポの綿毛にチンポポくすぐられ


タンポポとチンポポのハーモニーが良い。普通であれば躊躇なく良作としたいところだが、ダダ貫氏の作品のとなりにあることで、はからずもややかまととぶって見えてしまうのは私だけか。研ぎ澄まされキンキンとそそり立つ91歳と、チンポポくすぐられて喜んでいる若者とでは、やはり後者に胡散臭さを感じてしまわざるをえない。しかしこれは不幸な比較といったものであって、これひとつ独立した作品としてはなかなか素朴で良いと思う。タンポポの綿毛にくすぐられてむっくりと起きるほどの、それは敏感な先端である、ということだろうか。歳を重ねることでこのチンポポがどうなっていくのかが気になるところだ。
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by okabar | 2011-12-18 00:14 | よくぼう

詩誌『紫陽』24終刊号評 その1 ダダ貫の俳句

2011年8月20日、
8年間続いた小さな詩の雑誌、
『紫陽』(しよう)が、
終刊号を出してひとつの区切りを迎えた。
せっかくなので作品評も兼ねて紹介していこうと思う。


ダダ貫による俳句

今回、まず目に止まったのは先日(12月2日)91歳を迎えたばかりのダダ貫氏の作品である。以下にその全文を引用させていただく(失礼つかまつる)。


ボッ キせるペニスずるりとご入膣
やおら立つペニスきんきんご入膣


なんと美事に磨き上げられた二本の棒であることか。
ダダカンここに健在なりしと文字が伝えている。
研ぎ澄まされた言葉に無駄はなく、やはりここでも「おみごとです」と言うほかない。
一見無季俳句のようだが、「ボッキ」が“一年中”の季語なのだろう。

エロチシズムの極北である。
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by okabar | 2011-12-18 00:08 | よくぼう